医療法人 さほり眼科

 

 

近鉄奈良線「若江岩田駅」近くの眼科。赤ちゃんの目の健康相談、こどもの視力低下から、大人のつかれ目、中高年の白内障、緑内障に至るまで幅広い診療を行っております。コンタクトレンズ指導・取扱い。
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2009年のひとりごと

2009年度の日記一覧

「医療はサービス業」に物申す!

3月1日

 

3月1日

「医療はサービス業だ」ともっともらしくのたまう人々がいる。いつしか医師の中までもこういう考えを持つ人々が増え始め、特に病院では数年前からは患者に「様」付けをし、過度な敬語使用が見られるようになり、非常な違和感を抱いているのは私だけではないと思う。そもそも「患者様」という呼び方は、厚生労働省の医療サービス向上委員会が2001年11月に「国立病院等における医療サービスの質の向上に関する指針」を打ち出し、当時の国立病院に患者の呼称の際には原則として名前に様を付けるよう求めたことから始まったようだ。

 サービス業には物品販売業、飲食業、情報産業、ホテル業など様々な形態があり、それぞれ品物や情報、時には遊興、癒しなどを売り、その代価を受け取って利益を得ることを目的としている。果たして医療もこれらの産業と同列に扱ってよいのだろうか。とすれば医療は技術を「売り」、その対価として治療費を受け取って「利益を追求する」サービス産業ということになる。

 

これは「サービス業」という言い方が間違っているのである。なぜなら一般的にいうサービス産業とは、究極的に利潤を追求するのが目的だからである。医療も利潤の追求がすべてに優先する産業であってよいのか。日本国民の多くがそれでよいというのならそれでもよい。とすれば医療はまさしく金持ち優遇の産業に成り果ててしまうであろう。

 警察、消防、自衛隊を「サービス業」と思う人はいるだろうか。いずれもある意味、犯罪・火災・外国からの攻撃・自然災害などから国民の生命と財産を守る「サービス業」ともいえるのだが、これらの組織で働く人をそれに対する報酬として利益を得ているという見方をする人はほとんどいない。それはこれらの仕事が「公的(公共)サービス業」だからである。一般的にいう「サービス業」とは利潤追求を最優先する「私的サービス業」を指すものであって、これらの「公的サービス業」とは明確に区別されるべきである。

 そこで医療はどうかと考えると警察や消防と同列の公的サービス業の範疇に入れるべきである。医師は国民の生命・健康を守るのが仕事であるから当然のことである。ただ医師免許という国家資格を持つ医師は公務員というわけではなく(中には公務員もいるが)、中には利潤追求優先の医師もいることも否定できないので100%公的サービス業とまでは言えず、そこが混乱の元となっている。日本の医師は自由開業制で、中には美容外科や近視手術などの自由診療で利潤追求を最優先する「私的サービス業」に走る医師も一部存在し、また開業医は儲けすぎていると喧伝されている面も多々あり、公的サービス業であることが第一義の医療が利潤追求が第一義の私的サービス業と混同されていることがこのような事態を生んでいる。

 医師には患者に求められれば診療を断れない応召の義務がある(ただし、患者との信頼関係が成り立っていることが前提である)。もし、医療が私的サービス業なら応召の義務はなく、金を持っていない人は診なくてもよいことになる。しかし、医師免許を持つ大多数の医師は利潤よりも患者を助けることを優先する自覚とプライドを持っている。たとえいくら儲けてベンツを乗り回し、毎夜新地に繰り出す開業医がいようとも、彼らとて利潤追求よりも患者の治療が最優先であることは当たり前のことであり、結果として裕福になっただけのことである。特に保険診療に携わる大多数の医師は、国民皆保険の中、診療報酬体系で医療コストが国に統制され、いくら技術料が安く抑えられ、安全やIT化にかかるコストが持ち出しになってもほとんど文句も言えず、国民の健康を守ることを最優先して医療に取り組んでいる。

 

このような中で患者を「患者様」と呼んで敬語を連発してへりくだり、患者をお客さま扱いするような風潮がはびこることは、患者側にも「金を払っているんだからサービスを受けるのは当然だ」といった誤った権利意識を植え付けることにつながっている。患者は「患者さん」でよく、このようなアホなことは即刻やめるべきである。本来、医者と患者は病気に対して同等の立場で共闘するのが最も望ましいと考えるが、「私的サービス業」の意識下では患者が上になり、結果が悪ければすべて医師の責任という傾向がどんどん増した結果、医師側に訴訟リスクの回避や委縮医療を招き、現在の医療崩壊の一因になっている。医療訴訟の増加、クレーマーの増加やモンスター・ペイシェントの出現、夜間救急のコンビニ受診、救急車の乱用などはすべて医療を私的サービスと混同している患者の利己的な意識の表れが作用していると考えられる。

 このような個人主義・利己主義的な風潮は残念ながら今の日本全体の風潮であろう。路上喫煙や電車内や公共の場でのマナーの悪さ、自分自身にしか関心がなく他人が困っていても「そんなの関係ねぇ~」、公共のルールを守れないといった傾向は年々度を増している。このような世の中を憂いている人も徐々に多くはなっているが、今こそこういう流れに歯止めをかけるべきであり、「医療は公共財であって私的なものではない、医療はみんなのものであって個人の権利(=エゴ)を乱用することは医療の崩壊につながる」ということを再認識する時期に来ていると考える。

 

日本の医療は論理矛盾いっぱいの社会主義

7月1日

 

7月1日

共産党や社民党を支持する人々でさえ、日本が資本主義、自由主義の国であることを疑わないであろう。しかし、医療、介護の世界のみ社会主義がまかり通っているという認識を持っている国民はほとんどいない。はじめに断わっておくが個人的には医療・介護の世界は社会主義的であってもよいと思っている。しかし、それを容認するためには医師が国家公務員でない以上、国家が医療機関や医師たちにそれに見合う十分な代償をする義務を果たすということが条件である。

 

もともと日本の医業は医師法・医療法上、非営利・公共的なものとされ、そのため厳しい広告制限があり、また医師には患者の治療以外にも国民の公衆衛生の増進に努める社会的責務も課せられるということが明記されている。でも一般の人々にはそのような意識はほとんどないばかりか、医師の中にも営利を求めて自由診療に走る者たちが一部にいることも否めない。医師は一般に公務員ではないが、医療は公共財であるが故、昭和36年に確立した国民皆保険制度下での保険医療は診療報酬体系という公定価格で縛られ、この資本主義・自由主義の日本国の中ではまるで別世界の社会主義的統制経済のもとに置かれている。こういう意味では確かに医療の世界は「聖域」といえる。
非営利であるという医師の立場をよく理解していたのか、はたまたこの状況に甘んじた医師をなだめるためなのかはよく分からないが、当初は医師優遇税制で医師の生活は十分に担保されていた。しかし、高齢化が進んで医療費が伸び続けるにつれ、医療が統制経済の特殊な世界にあることなど忘れ去られる。いつしか医師は儲け過ぎだとマスコミからバッシングを受け始め、医療界のみが国の統制経済下あるという不公平は棚に上げられ、まず不公平の象徴とされた医師優遇税制が大幅に縮小された。一方では公共的・非営利であると言って診療報酬を低く抑えて医療機関には大きな収益が上げられないようにしておきながら、一方で営利企業と全く同じように課税しているのは大きな矛盾ではないか。そのため、医者はうまくいけば小金持ちにはなれても、大金持ちは決してなれないようにされているのである。さらにあまり良いこととは言えないが、あまりにも低く抑えられていた医師の技術料を陰で補っていた薬価差益や検査は、薬漬け・検査漬けと批判され、それなら本来大幅に上げるべき技術料のアップはほとんどないままに薬価や診療報酬のみ抑制されていく。さらに官僚は患者の自己負担どんどん引き上げて公費の負担を軽くするともに、患者の受診抑制を誘導する一石二鳥の作戦に出て、医療機関の経営はますます苦しくなっていく。

 これまでは赤字が出ても税金で補填されてきた国公立病院には独立採算の波が押し寄せ、2007年の6月の自治体財政健全化法の施行と相まって、特に地方の自治体病院の大赤字は地方財政の大きなお荷物になり始めた。こういう病院が軒並みつぶれていっているのは周知の事実である。もともと医療は営利を目的としない、つまりあまり儲からないようにということで診療報酬体系の中で医療費を低く縛ってきたのではないのか。それなのにここにきて、病院が赤字なのは経営の仕方が悪いからだとか、医者は経営に関しては素人だからだとか、全く筋違いの意見を言う輩の尻馬に乗って、国は病院経営で黒字を出せ、赤字は補填してやらないと言い始めたのだ。技術料の低さをかろうじて補填していた薬価差益や検査料も抑えられ、病院が利益を上げ、経営を維持するためには薄利多売方式で多くの患者をなるべく多くの回数病院に来させるしか方法がなくなった。国は一方で医療費が年々高騰しているから抑えねばと言いながら、一方では医療機関に利益を上げろと言って医療費がよりかさむように仕向けている。まさに論理矛盾もここに極まれりである。

 

診療所は病院に比べるとはるかに効率的である。開業医は自分が頑張ったり、家族の助けを借りたりしさえすればスタッフの数を減らして人件費をカットできるし、目配りによってはずいぶん無駄を減らすこともできる。また実際、時間や手間がかかって効率の悪い医療は紹介状1枚で病院に押し付けることさえできる。こんな所も医療崩壊の一因となっているのだが、診療所は生き残るるため、いわば一種の企業努力をしているだけでこれによってどうにか採算を維持しているのにすぎない。

 それに対して病院は、規模が大きくなればなるほど医師以外にも看護師、薬剤師、検査技師、事務職員から栄養士、給食係、清掃員、警備員に至るまで従事者が非常に多く、組合でもあればますます人件費はそう簡単には削減できない。病院の中には新しく来た病院の院長より、ずっと長年そこで働いている看護師の方が年収がはるかに高いという笑えない話もある。こういう病院の勤務医の年収は労働の対価としては非常に低い。また、給与は年功序列で、能力が高くても若ければ年収には全く反映されず、勤務医の不満のひとつになっている。外科の大きな手術ともなると数人の医師がチームを組み、術前より長時間を掛けて検討し、手術も長時間に及ぶこともまれではない。しかし、それだけの労力に比して定められた手術の点数は極めて低く、医師の技術料どころか人件費もまともに出ない。こんな状態のままで病院経営を黒字にせよという方がどうかしている。

  例えれば、他業種が自由に泳いでいる中、医療機関は自由に泳げないように以前は船に乗せられていたが、ここにきて急に両手両足を縛られ、その上おもりをつけられ、「さあ、他業種と同じように頑張って泳げ」と言われているようなものである。体の小さな診療所はできるだけ身につけているものを捨てて身を軽くして対応しようとするが、図体の大きい病院は身につけているものを捨てて体を軽くすることもできず、溺れる者が続出しても助けてもらえない。日本の医療機関を救うためにはもう一度しっかりとした大きな船に乗せるか、完全に縛りを解き自由に泳がせるかの選択となる。

  ここで「聖域なき構造改革」というパフォーマンスに走る小泉内閣が登場する。医療の「聖域」を侵すということはまさしく医療を公的・非営利なものから私的・営利なものに変えていくという政治理念の転換であったのにも関わらず、国民はその意識に乏しく、おそらく小泉首相自身もその重大さに気づいてなかったのかもしれない。先程の話でいえば、まず片手だけほどいてやろうというものである。

 

財務官僚は、何の生産性もない医療費を増やしても税収アップにはつながらない、税金は税収を増やすことと天下りも考えてできるだけ多く企業向けに使いたい、伸び続ける医療費のうちの公費負担をなるべく減らして国民の自己負担額を増やしたい、と考えている。小泉首相が政策を丸投げした市場経済原理学者は医療の世界にアメリカのごとく市場原理を持ち込めば、医療機関は競争して切磋琢磨し消費者は今よりさらに良い医療サービスを受けられると信じている。財界人は今の医療に税金を回すなど無駄の極みであり、回すなら医療が自分たちのビジネスとして成立するようになってからと考えている。混合診療と株式会社の参入がワンセットで解禁されれば医療は営利ビジネスの突破口になる。保険ビジネスとリンクさせればもっと儲かる。こうして産官学3者の思惑は見事に一致、映画「シッコ」に描かれた経済弱者切り捨てのアメリカ型医療への道まっしぐらである。彼らが行った政策が一部の勝ち組と下流社会や多くの貧困層に二層分化させ、極端な格差社会を現出させたのは当然の帰結である。

混合診療とは保険診療の中で、一部に自費負担となる薬・検査・手術などの診療の混在を認めるというものであるが、これについては勤務医を中心に解禁賛成の医師が案外多い。これは高度な技術を要する治療の対価がいかに低く抑えられ、勤務医の収入がいかに不当に低く抑えられていることの裏返しである。医療をビジネスとし、高い技術を持つ医師ほど経済的に報われるアメリカ型医療を是とする医師が出てきても全く不思議ではない。過重労働や技術料の低さに不満や憤りを禁じ得ない勤務医の気持ちは痛いほどよく分かる。しかし、混合診療が解禁になれば、よく効く高価な新薬や例えば内視鏡手術など高度で負担の軽い治療は公費支出を抑えるためにすぐには保険適応にならなくなるであろう。さすればこのような最先端の医療はお金がないと受けられなくなり、またそのことで金儲けを考える企業が現れ、国民皆保険制度は形骸化し事実上破綻する。このような事態を本気で防ぎたいのなら医師の技術料を正当に評価して大幅に引き上げ、特に不遇に耐えている勤務医の収入をそれに見合うよう大幅に引き上げる必要があるということを国民、政治家はしっかりと認識すべきである。

 この問題は日本の医療の未来をどうするのかという国のあり方に行きつく。日本は今、国民に意識のないままずるずると低福祉低負担のアメリカ型社会に流れていくのか、北欧型の高福祉高負担は極端であるにせよ、ヨーロッパの国々のようにたとえ消費税を引き上げても社会保障費を増額してある程度の福祉水準を維持していくのかの岐路に立っている。個人的にはヨーロッパ型の方が日本国民にとって望ましいと考えるが、現在のように医師に犠牲を強いるような制度のままなら腕次第で収入を得られるアメリカ型を支持する医師がどんどん増えていくであろう。従って国民が後者を望むなら、医師、とりわけ勤務医がもっと労働条件や経済面で今よりもっと報われるようになることが必要条件である。肥大化した行政をスリム化することこそ本当の「小さな政府」なのであって、必要な社会保障を切ることなど真の改革などではない。日本がこのまま経済力が有る者のみが十分な医療を受けられるような社会になってよいのか、日本の医療がアメリカのように、医療技術を売り、その対価として治療費を受け取って利益を追求するような金持ち優遇・貧者切り捨てのサービス産業になってしまって本当によいのかを国民に問いたい。

 

「事業仕分け」の欺瞞と横暴

12月1日

 

12月1日

「政治主導」が聞いてあきれる。民主党が行っている事業仕分けのことだ。政府の行政刷新会議が2010年度予算概算要求の無駄を洗い出す「事業仕分け」で、事務局が極秘の査定マニュアルを作成し、民間有識者など仕分け人に配布していた。これは財務省の視点に基づき、仕分け対象事業の問題点を列挙、各担当省庁の主張に対する反論方法まで具体的に指南する内容で、政治主導を掲げた事業仕分けが財務省主導で進んでいる実態が明らかになったと時事通信でも報じられた。仕分け人の元締めである民主党枝野幸男衆議院議員はTV番組「サンデープロジェクト」の中で、仕分け人の資料として財務省側と反論する各省庁側の資料は公平になるよう同じ分量にしていると弁明していたが、結果を見るとほとんどすべての事業が財務省資料のシナリオ通りの結論になっている。

 

そもそも仕分けされる事業の選定自体がおかしい。教育・科学技術・医療など経済効果のみでは測れない事業は事業仕分けになじまない。このことは枝野議員本人が言っており、実際、地方交付税、診療報酬改定、米軍基地の思いやり予算をその例として挙げ、仕分け人の結論を政治の責任で変えたと述べている。鳩山首相は「聖域なき見直し」というどこかで聞いたセリフを持ち出しているが、小泉改革で「聖域なき構造改革」という非常に危ういワンフレーズポリティクスの結果、日本の社会保障がズタズタになったのを民主党は忘れたのか、その結果で政権交代が起こったという認識は全くないのか、と言いたい。財務省が予算削減したい事業を恣意的に選定しており、最も削減効果が大きいと推測される財務省所管事業はほとんど含まれていないことにも大いに疑問がある。仕分け人の選定も財務省の御用学者や経済人、訳の分からない所証券会社の人間ばかりで財務省にとってのみ都合の良い人選である。

日本の将来の科学技術をどうするのか、スーパーコンピュータやロケット、教育や医療は採算が取れないからといって財務省的な目先重視の狭い視野の中で切ってしまって本当に良いのか。この事業仕分けの中では民主党の政治理念、将来の国の在り方に対するビジョンがほとんど感じられない。ビジョンがあるというのなら少なくとも仕分け人の中に教育・科学技術・医療という経済的効果で測れない分野の専門家を半数以上入れるべきでなかったのか。これらの分野に関しては全くの素人判断になり財務省の都合のみがまかり通っているのが現状だ。

 この事業仕分けはオープンな議論だと言ってかなり国民にも支持されているようで、確かに公開での議論はワイドショー的で面白いとは思うが、その内容は全くの財務省のお手盛りで見る人が見れば議論の内容はかなりお寒い。仕分け事業の選定、仕分け人の人選、論拠となる資料・データの信頼度、議論の進め方などがいかに恣意的・作為的で粗暴・粗雑かということがよく見えるということが一番評価できるということはまことに皮肉である。

 

診療報酬改定のみに関して言えば、1時間ばかりの短い時間で、素人による上辺だけの非常に乱暴・粗雑な議論で出てきた結論は財務省の目論見通りで、仕分け人16人中、(1)収入が高い診療科の報酬の見直し14人、(2)開業医と勤務医の報酬の平準化:13人、(3)公務員人件費カットやデフレ傾向の反映8人、などであった。一般の人には一見もっともな意見のように思えるだろうが少し社会保障を勉強して理解のある者ならならこんな結論には絶対にならない。中でもクレディ・スイス証券の市川某氏の「開業医は勤務医より勤務時間が短いのに高収入なのはおかしい」といった発言には「開業医は楽して儲けてけしからん」という開業医に対する侮蔑の本音がにじみ出ている。こういう類の発言に対してネット上では全国の開業医の不満・怒り・憤りの声が渦巻いている。

 この手の発言は今に始まったわけでなく、マスコミの論調でも多くみられるが、医療の最前線で体を張って毎日頑張り、日本国民の健康を守っていると自負している大多数の開業医のプライドを踏みにじるものである。医師のほとんどすべては金儲けの手段として医師という職業を選んでなどいない。患者の命を救い、病気を治し、人に喜ばれたいという気持ちを必ず持っている。消防士や警察官、自衛官になる人たちもそうであろう。やはり人の役に立ちたい、という公的奉仕の精神を持っている人が大多数である。

 多くの国で医療は公的な国民サービスとして位置づけられている。我が国でも国は国民の生命と財産を守る義務がある。従って安全保障のためには自衛隊も必要であるし、警察や消防も国による公的サービスである。彼らには国民の安全を自分たちが守っているという自負がある。医師も同じである。それゆえ医師は公務員ではないにもかかわらず、できるだけ貧富の差があっても安価で質の高い医療が受けられるという理念のもとに作られた国民皆保険制度に協力し、診療報酬という公定価格の国家による統制経済下でも甘んじて受け入れてきた。

 証券屋のような金儲け最優先の人に自分たちと同じようなレベルの発想で我々開業医を見下すような発言をすることは断じて許せない。鳩山首相は自民党の古株に「あなたたちに言われたくない」と言ったが、我々も同じである。「あなたがたのような利益追求最優先の職業の方々に言われたくない」と声を大にして言いたい。国のため、公のために働く人々をないがしろにすればそれはそのまま鏡に反射するように直接国民に跳ね返ることを国民は理解しなければならない。

 

何ゆえ世界に冠たる国民皆保険制度が日本で成り立っているのかをもう一度よく考えて欲しい。医師は公務員ではない。にもかかわらず、診療報酬という世界的に見て非常に低価格に抑えられた技術料の公定価格を甘んじて受け入れているから国民皆保険制度でやっていけるのである。もし、開業医すべてが一斉に保険診療をやめ、自由診療を選択すればたちまちこの制度は崩壊する。国民皆保険制度が崩壊すれば貧富の格差がそのまま受けられる医療の格差に反映される世の中になるであろう。つまり「金のない者はまともな医療は受けられない」という現在のアメリカのような社会になる。

 そもそも開業医と勤務医を比較すること自体ナンセンスである。大会社に勤めるサラリーマンの俸給と同じ業種の小さな会社の社長の俸給を比べることに何の意味があるのか。開業医は個人事業主である。開業場所・物件の選定、設計と内装、医療器械の選定、設備投資や資金調達(長期借入金)と銀行との折衝、役所関係の届け出書類の作成、看護師や事務職員の応募・面接と雇用、スタッフの教育、スタッフの雇用条件の設定と医療保険・雇用保険や労働保険、薬品類の仕入れ、レセプトコンピュータの講習、医療廃棄物の処理、などをすべて自分ひとりで行わなければならない。私の同級生の勤務医になぜ開業しないのかと聞くと、医療以外の事務やこういったことをするのも煩わしいし、経営がうまくいくかもわからないし、そこそこの収入があれば医療に集中できる今の環境の方が気楽でよいという。

 現時点においても小泉改革の影響で経営がうまくいかず廃院して勤務医に戻る医師も増加している。開業というのはそれなりのリスクや医療以外の様々な負担を負ってしているわけで、精一杯働いて仮に勤務医より高収入があるからといって非難されるいわれなど全くない。開業医の勤務時間が短いというが、一部勤務医の労働基準法の規定を上回る勤務時間が長すぎる方が問題なのではないのか。さらに言えば開業医の勤務時間に、標榜している診察時間以外の往診や校医検診・休日急病診療所・介護認定審査会・予防接種事業などへの出務とそれらにかかる移動時間などを含めているとは到底思えない。

 勤務医の労働時間が労働基準法をはるかに上回る状態であり、勤務医の労働時間を減らしたり、きちんと時間外収入を手当てしたり、税制上の優遇をするなどといった方策を取ることには異存はない。医療費全体の枠を増やして増額分を勤務医対策に充てるのならまだ話はわかる。しかし、「開業医は楽して儲けてるからその分を減らして勤務医に回せ」というやり方は筋違いも甚だしい。

 

収入が高い診療科の報酬見直しにしても名前の挙がった整形外科や皮膚科が本当に不当に高いのか、根拠となるデータの信頼度に疑問がある。低い所はあげればよいが、それなら総枠を増やして増額分で補填すべきであろう。デフレなど経済状況を診療報酬に反映させるというのもおかしい。それなら過去に景気が良い時に診療報酬も大幅に上げようという話などついぞ聞いたことがない。要するに診療報酬を下げるための口実でしかない。

 おそらく財務官僚はこんな反論は百も承知の上の確信犯だと思われる。財務官僚は武見太郎日本医師会会長時代の医師優遇税制以来の積年の恨みを開業医に対して抱いており、いつか開業医の診療報酬を大幅に削ってやろうと虎視眈々機会を狙っていた節がある。自民党の族議員の圧力がなくなった今こそ好機到来である。自分たちに都合のよいデータのみを提示して民主党議員を手なずけることなどたやすいことであったであろう。

 枝野議員は事業仕分け人の結論と反した結論を出した例として診療報酬改定を挙げた。確かに枝野議員の「勤務医、開業医の所得・収入がフェアなのか、適正なのか、あるいは診療科ごとの所得・収入がフェアなのかについては、客観的な情報データが必要であり、医療者、患者、皆が納得するデータをそろえる責任は厚生労働省にある。来年、再来年に診療報酬の議論をする際には、客観的なデータを基にしたい」という結論は唯一評価できる意見であった。しかし、よく勉強している原口総務大臣など他の担当大臣は事業仕分けについてかなり批判的な目で見ているのだが、一方で当の長妻厚労大臣だけは診療報酬に対する事業仕分け人の結論について肯定的な発言をしている。枝野議員以下の理解力である。前から危ぶんでいたがやはりこの人は年金批判だけで医療のことは何一つわかっていないど素人であることが露呈された。桝添前大臣の方がまだ医療に関しては理解度が高かったように思う。

 

財務省の役人が事業仕分けを隠れ蓑に今まで自民党政権下では出来なかったことが次々可能になり、ひとりほくそ笑んでいるに違いない。民主党は政治主導と言いながら完全に財務省の手のひらで踊らされている。民主党は「コンクリートから人へ」と銘打って、鳩山首相は診療報酬の増額を公言・公約していたがそれはどこに行ってしまったのか。

 自民党はチャンスである。民主党の目先にとらわれた財政規律優先、将来ビジョンのなさをもっと批判すべきである。ところが、東大を始め国立大の学長たちや商工会議所のような経済界ですら財政優先の仕分け事業の在り方に強く反発しているのに、気のせいか自民党からはこのような声はほとんど聞こえてこない。それどころか逆に、この仕分け事業のようなことを自民党もやりたかったなどと評価して悔しがる自民党の某御仁の発言には呆れてしまった。自民党も民主党と同じ思想ということか。自民党の族議員の悪い所ばかり指摘されてきたが、中にはしっかりとした政治理念から今回のような財務省の暴走に歯止めをかけてきた族議員もいたわけで、このことは再評価されるべきではないか。自民党はこのような視点で自分たちの正当性をもっとアピールできるではないのか。

 野田財務副大臣は財務官僚の言いなりになって当初は診療報酬の3%減を言っていたが、さすがにここまで露骨になると長妻大臣ですら診療報酬総額での増額は公約だと反発した。そのせいか、野田副大臣は後に薬価引き下げ分のみを診療報酬増に充てるとしてゼロベースの改定を打ち出してきている。前回の総選挙では民主党の提言を信じ、約60%の医師は民主党を支持した(自民党支持は約20%)。このまま人民裁判のごとき事業仕分けの横暴、いや財務省の横暴がまかり通るようなら民主党の言うことは金輪際誰も信じなくなるであろうし、国民に対する不利益となって跳ね返り、近い将来民主党は国民よりこっぴどいしっぺ返しを食らうであろう。