医療法人 さほり眼科

 

 

近鉄奈良線「若江岩田駅」近くの眼科。赤ちゃんの目の健康相談、こどもの視力低下から、大人のつかれ目、中高年の白内障、緑内障に至るまで幅広い診療を行っております。コンタクトレンズ指導・取扱い。
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2007年のひとりごと

2007年度の日記一覧

壊れる子供たち

2月1日

 

2月1日

<壊れる子供たち>

 壊れる子供たちが増えています。いじめ・不登校・非行・家庭内暴力・引きこもり・援助交際・少年犯罪の凶悪化など、枚挙に暇がありません。

 

これらの原因として、「現代において家庭の教育力が低下し、しつけがなされていないためにわがままな子供が増えている。物質的にも恵まれすぎ、甘やかされているために精神的にひ弱な子供が多い。テレビゲームやインターネットの影響で現実感がなくなっている」というステレオタイプの分析がありますが、果たして本当にそうなのでしょうか? もちろん公共の場で社会的ルールが守れない、やってはいけないことをする、などの行為に対しては子供を甘やかすことなくきちんとしつけをすることは言うまでもありません。しかし、これらの問題を解決するのに「子供をもっと厳しくしつける」ということだけでうまくいくのでしょうか?

 学校生活に代表される子供の社会は、突き詰めれば大人社会の縮図であり、エスカレートしたストレス社会をそのまま鏡のごとく映しています。子供たちを咎める大人たちにこそ大きな責任があり、子供たちはまさしくこういう社会を作った大人たちの犠牲者ともいえます。

 今回は特にいじめから自分たちの子供を守りたい、あるいは我が子がいじめからすでに不登校になってどうしていいかわからないお母さん、お父さんたちに是非メッセージを送りたいと思います。

 

<いじめの表と裏>

 いじめを受けた子供たちの反応は様々です。ひたすら耐えて切り抜ける強い子もたくさんいます。しかし、精神的に強い子ばかりではありません。いじめなどのストレスが慢性的に続くと子供たちは何らかのサインを出し始めます。朝になると腹痛や頭痛を訴えたり、何も異常所見がないのに急激に視力が低下したり(心因性視力障害)、チック症や拒食症・過食症など様々な形で心身症として表れます。さらに不登校、リストカット、引きこもり、あるいは暴力、非行、援助交際などといった行動の形で出る場合もあります。いずれにせよ、まず親ができるだけ早く子供たちのサインに気づき、適切な対応を取ることが重要です。

 いじめの被害者に対して「いじめられる側にも悪いところがある。もっと強くなりなさい。」といった言い方は決してしてはなりません。一般的にいじめを受けている側には何の落ち度もないケースがほとんどです。ただ、複雑なのはいじめる側といじめられる側がしばしば入れ替わるケースがあるということです。

 いじめを主導する子がいて、次々といじめのターゲットを変えていく。自分はいじめられたくないから周囲の子はいじめる側に加担する。そのうち、周囲の子が「主導する子が一番悪い」と思い出し、みんなで逆に主導する子をターゲットにして無視をするなど逆襲に出る。その時点でその主導した子が担任に泣きつき、そこで初めていじめの存在に気づいた教師は上辺だけで判断し、最初に主導した子をかばい、最初にいじめを受けていた子たちの言い分は全く聞こうとしない。その子たちの心の傷はますます膨らみ、教師への不信・不満が残り続ける。こういったケースも実際にあるのです。このような場合、どちらが被害者なのでしょうか? 最初にいじめを主導していた子には全く落ち度がなく、いじめた側が全面的に悪いと言ってよいのでしょうか? いじめた側の子供たちを処罰すれば問題は解決するのでしょうか? このようなケースではどちらも被害者として対応すべきだと思います。いじめた方は確かに悪いがいじめられた方にも非がある、といった喧嘩両成敗的なやり方は絶対にすべきではありません。

 

このように加害者と被害者の立場が入れ替わるケースは珍しくありませんが、被害者はもちろんのこと加害者側も(先の例では最初にいじめを主導した子も含めて)ほとんど全員が何らかの心理的ストレスを抱えています。つい先日も集団でのいじめに加担してひとりの子に暴行して骨折させ処罰された中学生の男の子が「ごめんね」という遺書を残して自殺するという痛ましい出来事がありました。彼は少し前までいじめられる側だったということです。

 ある少年院でのアンケート調査によると以前に保護者から暴行や言葉の暴力、育児放棄も含めて虐待を受けていた者が実に70%以上ということです。たとえ若年者であろうとも非行や暴力、犯罪行為は容認できるものではなく、罪はその程度に応じた償いが必要であり、非道な行為には厳罰をもって臨むべきだと思います。しかしながら、もし幼少時の虐待がなければ犯罪被害者も含めてどれだけ多くの子が救われていたことでしょうか。この子たちが親になると「虐待の連鎖」が起こり、また同じことが繰り返されます。どこかでこの連鎖を断ち切らねばなりません。

 大人の中にもその人格形成期において虐待を受けたことが原因で人格障害になり凶悪な罪を犯す者もたくさんいます。社会の一人ひとりが周囲に気を配り、子供の虐待を絶対に許さない姿勢が必要です。こうして子供たちを保護し健全に育てることが将来の犯罪を未然に防ぎ社会の安全を保つことにつながるのです。

 このように加害者側の子も家庭内やその他でストレスを受け続けていることが多く、ある意味この子たちも大人たちの被害者です。もっと言えば子供たちにストレスを与える大人たちすらストレス社会の被害者であるとも言えます。被害者側、加害者側は紙一重でいつでも入れ替わりえます。ですから両者とも事情をもっと深く掘り下げて丹念に調査し、心のケアをしていく必要があると思います。
 学校内でのいじめは決して特殊なことではなく、すべての親はすべての子供たちがいじめの被害者にも加害者にもなりうる、ということを知っておかなければなりません。

 

<子供たちを襲うストレス>

 ここからは私が共感している真生会富山病院心療内科部長の明橋大二医師の著書を元に、受け売りばかりになって申し訳ありませんが非常に的を射た分析をされていますので私見を交えながら是非御紹介したいと思います。

 子供たちをつぶしにかかるストレスの要因は主に、親子関係、学校生活、社会の影響、の3つに集約されます。

 まず、親子関係ですが、最悪は虐待・育児放棄など、親からの否定です。次に、親が子供に対して全く関心を示さないために子供が非常におとなしく無反応になってしまうサイレント・ベビーなど、親子関係の希薄さです。さらに親や祖父母による過干渉・過保護です。これは子供の意思を軽視した「こどもの支配」につながります。

 次に学校生活・教室内での最大のストレスは生徒間のいじめです。さらに、教師から問題児扱いされたり、からかいや時には生徒たちのいじめに加担したりするケースもよく報じられていますが、こういった先生からの否定も問題になります。また、皆が同じことを同じようにできるのが当たり前という学校教育自体のあり方も問題のひとつです。

 最後に、現代社会の閉塞感はこどもたちにも大きな影を落としています。不況、リストラ、中高年の自殺、ワーキング・プア、夢の持てない社会など不安定な生活は親たちのストレスを生み、そのまま家庭内の子供たちに反映されます。

子供たちにこういったストレスが溜まると、様々な形となって表れます。反発するエネルギーの高い子は非行や犯罪、暴力行為などを起こします。そこまで反発するエネルギーのない子は教室内で他の子をいじめる側に回ります。エネルギーのあまりない子は自己否定感が強くなり不登校・ひきこもり・リストカットなどの形をとって表に出てくるのです。

 不登校の子供たちこそ、他人を傷つけることなどできず、親にも決して心配をかけたくない気持ちが強いために自分がいじめられている素振りも見せない本当に優しい子供たちなのです。この子たちはボディ・ブローのようないじめに対して耐え続け、頑張って頑張ってしながらも心の傷を広げて行きます。学校に行かないと親に心配をかける、勉強が遅れたらどうしよう、でもいじめが待っている学校に行くのは嫌だ、苦しい、そういうジレンマに陥り、誰にも言えずひとりで悩み葛藤しながらついに疲れ果てて教室に入ることができなくなってしまうのです。

 

<いじめを受けた子供たちを救うには…>

 やらなければならないことは二つあります。ひとつはいじめをなくす、あるいは減らす努力をすること、もうひとつはもう既にいじめで心に傷を受けて苦しんでいる子供たちを救うことです。

 急を要するのは後者です。まず今苦しんでいる子供たちを何とか救わねばなりません。子供たちに近い順でいうと、まず両親、兄弟姉妹、祖父母、学校の先生、スクールカウンセラー、精神科医、社会全体で力をあわせるのが理想的ですが、現実的にはなかなかそうは行きません。やはり両親、あるいは親がいなければその子に一番近い者が体を張って子供を救う覚悟が必要です。まず不登校の子供たちの心理状態をよく理解し、受け止めてあげることから出発しなければなりません。

 不登校の子供たちを救うための最も重要なポイントは、この子たちが『極端に自己評価が低い』こと、『自己否定が激しい』ことをまず理解することです。この子たちを救えるかどうかはいかにここを克服させるかにかかっています。この傾向は不登校児だけでなく、キレる子や問題児とされている子などにも共通して見られます。彼らは皆、自分は生きている意味がない、存在価値がない、誰からも必要とされていない、という感覚に覆われていて、存在に対する安心感がもてない状態にあるのです。

 不登校の子たちに対して周囲は最初無理にでも学校に行かそうとします。特に親は子供が毎日学校に行くのは当たり前という固定観念から抜け切れず、普通に学校に行けない我が子が理解できません。世間体や勉強の遅れも気になるのでどうにかこうにか無理にでも登校させようとします。しかし、不登校になるまでに既に、子供たちは誰にも言えず、ひとりで悩み苦しみ抜いているのです。登校を促すことはさらに追い打ちをかけることになり、頑張って学校に行け、というのは無理があります。この子たちは決して特別精神的にひ弱な子というわけではありません。まず、「無理して学校に行かなくてもいいよ。勉強なんかいつでもできるから。まずゆっくり休もう」と言ってあげて下さい。

 

不登校の子供たちは両親、学校の先生、友達の誰も自分のことをわかってくれないという孤独感が非常に強く、この状況をあきらめ、この世には自分の居場所がないとさえ思っています。前線に身一つで放り出されている兵士のようなものです。親がこういう状況に早く気づいて理解し、まずこの子たちが安心できる精神的な居場所を提供してあげねばなりません。親を信頼し甘えられる状態を作らねばなりません。心の傷が深いほど簡単には行きません。そして次のステップで、この子たちの存在が周囲の人々にとっていかに大切でかけがえのないものかを繰り返し説き、自信をつけさせ自己評価を回復させていきます。決して焦ってはいけません。親との信頼関係が回復すればこの子たちは何度も確かめてきますので、凍った心を溶かすように根気よく言葉と態度をもってあふれんばかりの愛情を注いであげて下さい。きっと通じます。その方法の一端を以下に示します。

 ・親ができるだけこどもと接する時間を多くする。スキンシップも非常に有効です。

 ・子供の話をよく聞く。そして積極的に「ありがとう」と言いましょう。

 ・必要最小限しか手を出さない。過保護、過干渉は「子供の支配」と同じです。

 ・子供を責めず、あるがままを認めてあげる。

 ・頑張りを認めてねぎらう。「頑張れ」と言わず、「よく頑張っているね」と言いましょう。抑うつ状態の人はたいがい疲れ切っていますので下手な励ましは逆効果です。

 ・ほめすぎない、ほめすぎると逆に子供を縛ることもある。親がほめすぎると「良い子でいなさいと親が望んでいる」というメッセージになってしまいます。

 

・しっかりと甘えさせてあげる。「甘えさせる」とは「赤ちゃん返り」やスキンシップなどの情緒的な要求を満たしてあげることです。「赤ちゃん返り」は心の傷が深いPTSD(心的外傷後ストレス障害)の子に多く、10歳代後半でも幼稚園児のように母親に甘えることがあり、阪神大震災後や池田小事件の際にもよく見られました。「甘えさせる」ことは特に10歳までは必要ですが、心の傷が大きい場合には10歳以上でも非常に有効です。子供の言いなりになって好きなものを買い与えたりする「甘やかす」こととは区別が必要です。「甘やかし」は過保護・過干渉です。

 ・「やればできる」という励ましは使わない。自信をつけさせようとしてよく使われるフレーズですが「あなたはやればできるのにやらないだけだ。怠けている。」というメッセージになりかねないので使わない方が賢明です。

 ・叱りすぎは自己評価を下げるが、自分や他人を傷つける行為に対してはしっかり叱る。これは「あなたを大事に思っている」というメッセージになります。非行や犯罪でつかまった子供たちが「親にもっと叱って欲しかった」というのはよくあるケースです。「自分たちは親にどうでもよい存在だと思われている」と思っているのです。

 これらの方法は何も特別なことではなく何か幼稚園児への対応のようにも見えますが、逆に年齢の高い10歳以上の子供たちほど必要な気がします。もっと詳しいことをお知りになりたい方は1万年堂出版というところから出ている明橋先生の著書「輝ける子」「思春期にがんばってる子」などのシリーズを是非お読み下さい。

 

<リストカット症候群>

 過剰のストレスを受けた子供たちの中で、リストカットと呼ばれる自傷行為に走る子がいます。これは自分の手首や腕などを繰り返し刃物で傷つけるものです。最近は子供たちのストレスに対する閾値が非常に低下しており、ちょっとしたことでリストカットに走る子供たちが非常に増えてきています。少女漫画などでもしばしば描かれており、その影響からか一種の流行のようになっています。この行為はストレスのない普通の人にはなかなか理解できません。

 何故自分を傷つけるのでしょうか? リストカットは決して自殺願望があるからではありません。逆に自分を傷つけて痛みを感じ、血を見ることによって自分が生きている、あるいは生きていたいということを確認しているのです。この子たちは切った瞬間はホッとして束の間の安心感に浸っているのです。だから不安になると生きている安心感を求めてまたやるのです。

 自殺願望でないからといってこの行為が病的でない訳がありません。おそらく切った瞬間は脳内モルヒネが分泌され、一時的なトリップ状態にあるのでしょう。いわゆる麻薬中毒や薬物依存症と似たところがあってなかなか抜けきれなくなり、習慣化してしまうので早期に離脱させねばなりません。また中には傷が深くなって何度も外科で縫合を受けるような子もいます。たまたま傷が深く入ってしまうと図らずも命にかかわる危険もあります。

 親など身近な人間が早くこれに気づいて治療する必要があります。中には親に気づかれぬように太腿など外から見えない部分を繰り返し傷つけている子もいるので注意深い観察が必要です。親の理解と愛情が最も大事なことは言うまでもありませんが、カウンセリングとともに程度がきつい時には精神科医の指導の下で向精神薬などの薬物療法が必要になります。

 自傷行為は自分自身を大切にしていないわけで自己評価の低さを表しているともいえます。そういう意味では自分の体に穴を開けまくるような全身ピアスや自分の体を大事にせず見知らぬ他人に安らぎを求めるような援助交際などもリストカットと同種の行為と言えるかもしれません。

 
<いじめをなくすには…>

 いじめ自体をなくすにはどうしたらよいのでしょうか?それには教室内・学校内だけの問題としてではなく、社会全体での真剣な取り組みが必要です。最も変えなければならないのは子供たちではなく、まず大人たちです。強烈ないじめは大人社会にもいくらでもあり、子供たちだけでなく大人たちの間にも「うつ」がはびこり、中高年の自殺が激増しています。大人たちのストレスはそのまま家庭内の子供たちにも伝染して行きます。このストレス社会の根本は何なのでしょうか?

 歪んだ競争原理と哲学のなさが根本原因と考えます。競争は必要です。競争し、他人と切磋琢磨する中で、自己の向上がはかられ、進歩と発展があることは否めません。努力したものが報われることは当然のことですし、順位をつけ、勝者と敗者が存在することは決して否定されるものではありません。ただ、どういう目的意識を持って、何のために競争しているのか、ここが肝要です。

 今の日本の社会を見ると、すべて金・金・金といった感じで、サラリーマンは毎日やれノルマだ、やれ営業成績だ、売り上げだと追い立てられています。テレビでは豪勢な暮らしぶりの金持ちがセレブだといってちやほやされ、若者たちはそんな姿に憧れます。保険金殺人や強盗殺人がはびこり、ただ金が欲しいためだけで平気で人殺しをします。同じ残虐な人殺しでもチェチェンやアラブのテロリストたちの方が大義を掲げている分だけよほどましな気さえします。こういう風潮が年々ひどくなっている気がするのは私だけでしょうか? 金儲けをしてリッチな暮らしをしたい、有名になりたいといった自分の欲求を満たすためだけの自己中心的競争の蔓延こそが問題なのです。

 例えばスポーツや芸術の世界で人よりうまくなりたい、自分の技術を高めたい、人を感動させて喜ばせたいとか、サラリーマンや自営業者、サービス産業で働く人でも自分の仕事によってお客様が喜ぶとか、他の人々の役に立っているとか、主婦なら社会貢献できるようなこどもを育てるとか、仮に子供がいなくてもまた仕事をしていなくても周りの人々と会話するだけでもよいから何かしら社会の中で人々のプラスになるように動こうとするなど、たとえささやかであれ、こういった自己中心的でない、公共的な競争意識を持つことが大事なのではないでしょうか。こういう公共的競争をしている人は必ず競争相手を認めます。自分が勝者になってもおることなく、敗者に敬意を払い相手を尊重します。決して定められたルールを破ったり、卑怯な振る舞いをしたりしません。自己中心的競争でない、こういう質の高い競争をする社会であれば、大人社会も含めていじめなど起こるはずがありません。

 自己中心的競争にはルールがありません。自分さえ得をすればよいのですから、人を蹴落としても、だましても、時には殺してもとにかく手段は問いません。弱肉強食ですからとにかく油断できません。少し前までは一応自分の家の中ならまず安全だったのですが最近の風潮を見ると、家に中にいても振り込め詐欺やら押し込み強盗やら決して安全とはいえません。とにかく他人は信用できず、会社に行っても家にいても常に緊張を強いられ、大人たちはストレスがかかりっ放しの状態です。これで子供たちに影響が出ないはずがありません。

 日本では1970年代あたりが一億総中流時代と言われ、貧富の格差も大きくなく日本の90%以上の人々が自分の家庭は中流だと意識していました。ソ連や中国より平等な社会で社会主義的社会を実現していると言われたものでした。冷戦下で戦争の心配もなく高度成長の波に乗り、終身雇用・年功序列が確立しており、人々にとっては比較的ゆとりのある安定・安心の時代であったように思います。日本人は水と安全はタダと思っていると諸外国から揶揄されるほどでした。

 その後日本列島改造などで土地を買えば必ず儲かるという土地神話が生まれ、血迷って強欲に走り、思いやりや謙虚さの精神を失ってしまった日本人が、バブルの崩壊から現在の不安定で危険な時代を迎えているのは当然と言えば当然かもしれません。しかしそのツケを子供たちに回してしまってよいのでしょうか?

 歴史的に見ると、日本では昔からお家のため主君のためといった封建的な制度にずっと馴染んできた国家です。ヨーロッパは王制が多いのですが、王と領主の契約関係的要素が強く、日本ほど封建的な色合いは強くありませんでした(主君のために死を選ぶ、という所まで行かない主従関係)。アメリカは国の成り立ち自体が移民国家ですから元々「王様のために」といった封建的要素は全くなく個人主義が飛び抜けて強い国です。ですから逆にこういうバラバラの個人主義や人種のるつぼといわれる多民族を束ねるには強力な国家への忠誠心が必要で、権力者からの強制ではなく国民が自発的にこれを行うことでバランスを取っています。日本では戦後、アメリカ的個人主義が洪水のごとく流入したため、1000年以上封建制に馴染んできた日本国民は、アメリカのような自発的な国家意識が成熟しておらず、うまくバランスが取れないでいるのです。戦前の「天皇=国家」に対する忠誠の強制は異常であり全く肯定するものではありませんが、今の自己中心主義の蔓延を見ればたとえ強制的であれ、少なくとも他人や国家に奉仕する心があった分、現状の日本よりまだましなのではないかとさえ思ってしまいます。

 今こそ我々はお金や物ではなく、自分だけがよければよいといった狭い心を捨て、もっとおおらかな心を持って人に親切にする日本古来の国民性、精神性を思い出さねばなりません。国家への忠誠といった偏狭なナショナリズムではなく、公共や人への奉仕の心こそ取り戻さなければならない時期に来ているのではないでしょうか。

 

コムスン問題から見えてくるもの

7月1日

 

7月1日

やはりそうなったか、と思った医療関係者はかなり多いのではないだろうか。コムスンの問題のことである。

 防衛大出身で商社マンから起業し、バブル時代に一世を風靡した「ジュリアナ東京」という大型ディスコをプロデュースしたり、グッドウィルという人材派遣会社を立ち上げた折口という男がいた。この医療や介護に全く無縁の男が、介護サービス事業に民間企業参入が認められたことに目をつけて、「介護事業は絶対に儲かる」と公言し、介護保険を食いものにして儲けようとしてうまくいかず、あげくに不正を積み重ねて社会的に痛烈な批判を浴びている問題である。

 

元々コムスンという会社は1988年に福岡の病院事務長たちが老人たちのいわゆる「社会的入院」を減らそうと看護師や介護福祉士を高齢者の自宅に巡回させる事業を始めたものであった。さすがに医療関係者が立ち上げただけあって、その理念は非常に高く先駆的で、職員も倫理観の高い人々ばかりであった。ところがコムスンは介護市場に目をつけた“ハイエナ”折口のグッドウィルグループ(GWG)によって1999年に買収(完全子会社化)されてしまった。

 急速な高齢化に対応し、介護の必要な高齢者の長期入院、いわゆる「社会的入院」を減らすために2000年に施行された介護保険制度において、国は在宅介護サービスに限り営利企業の参入を認めた。折口がそれを見越していたことは言うまでもない。

 GWGの傘下に入ってコムスンの社風は一変する。事業所の数を100ヶ所から一挙に800ヶ所(現在は1,200ヶ所)に急拡大し、社員には売り上げを伸ばすようにどんどんノルマを課し、営業会議では成績順に支店長を並ばせる、など居酒屋や家電量販店のチェーンと全く同じ手法の経営方法をとっている。「24時間365日介護」などと聞こえはよいが、よほどのマンパワーやコストをかけねばできないことを平気でうたって客集めをし、社員には過酷なノルマを課して低賃金で働かせる。社員はかわいそうにまるで江戸時代の農民が搾取されているかのようである。とにかく利益をあげろと追いつめられた社員が不正請求をしたり、虚偽の従業員名簿を提出したりしたこともなるべくしてなった当然の成り行きであろう。そこには、いかに効率よく利益をあげるかという企業の論理しか見えてこない。

 2005年の厚労省調査によると全国の訪問介護事業所のうち営利企業が53.9%でトップ、続いて社会福祉法人26.5%、医療法人7.7%、その他、NPO法人・協同組合・社団法人・地方公共団体などあわせて12.0%となっている。半数以上を占める営利企業とそれ以外の法人などと何が違うのか考えてみた。

 

最大の違いはトップ(事業主)の倫理観である。いわゆる営利企業の経営者の論理は非常にシンプルである。最大の目標はいかに大きな利益をあげるかである。まず第一は自己の利益、会社の利益、株主の利益である。「お客様のため」などとよく言うが、そういうサービスは利益をあげるための手段に過ぎない。利益をあげるためには売上を多くして、支出を下げればよい。それにはできるだけ大きな規模で展開し、宣伝をしてできるだけ多くの客を集める、その一方でできるだけ人件費を抑え、社員には低賃金で重労働を強いればよい。

 医療や福祉の関係者の場合、営利企業の経営者のように金儲けをしたい一心でこの世界に入ってくる者などほとんどいない。中には途中で変節するものもいるだろうが、まず困っている人々を助けたい、社会的な奉仕をしたい、という純粋な動機がある。ここに大きな差が生じる。

 たとえば現在、病院の経営はどこも苦しいという現状がある。これは病院の経営者が医療しか知らない専門バカで経営の素人だからだ、という批判がある。確かに企業など経営のプロが病院経営をすれば合理化が進み、黒字の病院はもっと増えるであろう。しかし、医療関係者は、医療や介護には「必要な無駄」が非常に多いということがよくわかっている。それを認めるか認めないかというところで、利潤をあげるためなら迷わず何でも合理化を優先する経済人とたとえ経営がうまく行かなくても医療の質を優先する医療人とではおのずと倫理観の差が出る。

 ただ医療関係者も皆が皆聖人君子というわけでもないので中には報道されるような不正や破廉恥なことをするバカもいる。しかし、コムスンは全国で約1,200ヶ所もの事業所を展開している。いくら個々の事業所の社員が高い倫理観を持っていたとしても、トップの意向には逆らえない。今回のコムスンの件を見ればよくわかるが、たったひとりのバカが1,200人のバカに匹敵してしまうことになる。箱に入ったたくさんのりんごのうち、腐ったりんごが1個あればそれだけを取り除けばよいが、管理が悪いと箱の中のりんごはすべて腐ってしまう。規模が大きくなるとそれだけトップの責任は何倍にも大きくなるということである。

 

人間のやることであるから何事も100%はあり得ない。ミスもするし、中には倫理観のないワルい奴も出てくる。それを前提にできるだけ被害を少なくする方法を考えるべきである。市場競争原理を奨励し、コムスンのような全国展開の大規模経営を許可するとこういうことになる。

 ではどうすればよいのか? 今さら営利企業の参入を禁止するのは現実的ではない。利益を優先して大規模経営で儲けようとする企業は排除すべきである。たとえば事業所は10ヶ所までとか小規模経営しか認めなければよい。そうすればもし折口のようなバカが出てきても被害は最小限度で食い止められる。いずれにせよ、折口のような男が経営する企業に介護の認可を与えた国の責任は非常に大きいと言わざるを得ない。

 「社会保障に市場経済はなじまない」ということは医療関係者だけでなく多くの人たちが指摘していることであり、国が介護保険に民間の営利企業を認めた時点でこのような事態が起こるであろう事は十分予測された。医療や介護に営利企業の参入を進めようとしている経済財政諮問会議や政府は大いに反省すべきである。

 

コンタクトレンズ注意報

10月1日

 

10月1日

コンタクトレンズによる目の障害の多くはレンズの汚れによるものです。使い捨てのソフトコンタクトレンズは汚れがつく前に交換するために目のトラブルは少なく、このタイプのレンズが主流になっている現在、以前に比べると重症の角膜障害はかなり減少してきています。
 しかし、中には使い捨てレンズで角膜障害を起こして眼科を受診する人もあり、その多くは決められた使用期間を極端にオーバーして使用したり、必要な手入れを怠ったりしたことが大きな原因になっています。一見同じに見える使い捨てレンズも材質・製法・含水率・厚み・汚れやすさなどに違いがあって、メーカーや種類によって全く特性が異なります。また、ユーザー側の要素としても、涙の出方や角膜の丸み、アレルギーの有無など目の状態は個々によって異なり、さらにライフスタイルやレンズを使う頻度によってもレンズの選び方は変わってきます。

 

いくらルールを守っていても、自分の目や用途に合わないレンズを使用することにより目に障害をおこすケースもあり、眼科専門医とよく相談してレンズを選ぶことが大切です。ネット通販や眼科専門医のいない量販店でレンズを購入することは危険なので避けたほうがよいでしょう。

 もうひとつ、最近非常に目立つのがいわゆる“おしゃれ用カラーコンタクトレンズ”による目のトラブルです。このタイプのレンズは度が入っておらず厚労省は規制の対象外としたため、ネット通販や雑貨店で簡単に手に入りますが、カラーレンズは元々酸素透過性が低い上に、中には色素流出や細胞毒性がある粗悪なものまで出回っており、重症の角膜障害が激増しています。おしゃれ用レンズは医療機器から外されているため販売の届出義務がなく、ネット販売では意図的に短期間で小規模の出退店が繰り返されており責任が問えない状態です。もし国がこのような危険なレンズを野放しにしてきちんと規制できないというのなら、ユーザー自身が意識を高めて自分自身の目を守っていくしか方法はありません。

 汚れたレンズや粗悪なレンズ、目に合わないレンズを使用すると、角膜が腫れたり傷がついたりして激痛を生じます。角膜の酸素不足が強いため治りも悪く、運悪く傷からばい菌やカビ、アメーバなどが入ると失明する場合もあります。症状がなくとも眼科専門医で定期的に検診を受けることが重要で、あとは使用上のルールさえきちんと守りさえすればこのような重度の障害は十分未然に防ぐことができます。

(この文章は10月6日付の大阪日日新聞「目の愛護デー特集」に掲載されたものを加筆・修正したものです。)