医療法人 さほり眼科

 

 

近鉄奈良線「若江岩田駅」近くの眼科。赤ちゃんの目の健康相談、こどもの視力低下から、大人のつかれ目、中高年の白内障、緑内障に至るまで幅広い診療を行っております。コンタクトレンズ指導・取扱い。
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2006年のひとりごと1

2006年度の日記一覧

後医は名医

7月20日

 

7月20日

先日の木曜日、Nさんという37歳の女性が来院された。1週間前にめまい、呼吸困難、頭痛、気分不良があって救急車で近くの総合病院を受診し、頭部CTなどの検査もしてもらったが特に異常はなく、内科で痛み止めなどの内服を処方されたという。前日の晩より右目のかすみ、横を向くと物が2重に見える、痛み止めを飲んでも右目の奥の痛みが治まらない、ということで受診された。

 

診察すると、右目の瞳孔が左に比べると少し大きくなっていること(瞳孔不同)とやや右目の動きが悪い以外は眼底にも視力にも問題はなかった。軽度ではあるが動眼神経麻痺が疑われた。動眼神経麻痺であれば眼球よりも後部の脳内での異常を疑わねばならない。先日の頭部CTでは異常はなかったということだが、CTではわからない異常もありうる。神経眼科のスペシャリストはなかなか少ないので、専門である大阪赤十字病院の柏井先生に診てもらい、必要ならもう一度脳外科的な検索をしてもらったらよいだろうと考えた。Nさんには柏井先生への紹介状を書いて4日ほどあいてしまうが柏井先生の診察日の月曜日に受診するように説明した。
 翌金曜日の午後6時ごろ、Nさんより電話があり、目の奥の痛みが治まらないという。おそらく脳外科的な検索をもう一度しないと原因はわからないだろうと思ってはいたが、とにかく診察しましょう、もう一度来てください、と言った。診察すると、瞳孔不同、眼球運動障害はより顕著になり、眼瞼下垂まで生じており、動眼神経麻痺は明らかでかつ急激に進行していた。脳動脈瘤を疑い、直感的にこれは月曜日まで待てないと思った。金曜日の夜では病院でも詳細な検査は望めないのでとにかく土曜日の午前診のある河内総合病院の脳外科に直接受診してもらうよう急遽紹介状を書き直し、即日入院もありうるかもと言い翌朝一番に行ってもらうことにした。
 土曜日の午前中に返事のFAXがきた。果たして、緊急で脳MRA撮影した結果、右内頚動脈の動脈瘤であった。即日入院の上緊急手術となり、脳血管造影検査、脳動脈瘤クリッピング術が施行され事なきを得た。開頭下での術中所見では脳表にくも膜下出血は見られなかったが、深部の動脈瘤周囲はくも膜の肥厚・癒着が高度であり、反復した出血の既往が疑われるということであった。ひどい眼痛はくも膜下出血のためと考えられた。

 

Nさんは10日後に退院されて、翌日、一番にお礼を言いたかったといって来院された。右目の動眼神経麻痺は後遺症として未だ残り閉瞼したままではあったが、命拾いをした、もう少しで手遅れになるところだったと大変感謝された。眼科の疾患で命に関わるほど急を要する事などめったにない。命に関わるところであったので本当にうまくいって良かったなと思った。それと同時にもし最初に動眼神経麻痺を疑わなかったらどうなっていただろうか、あるいはもし金曜日にNさんが電話をかけて来なかったら月曜日の診察まで間に合っただろうか、などと考えるとぞっとした。一歩判断を誤れば感謝どころか逆に恨まれる事態になったかもしれない。
 患者さんにしてみれば最初の時点でどうして病気がわからなかったのだろうということはよくある。医者の間では「後医は名医」という言葉がよく使われる。時間がたてば症状や所見がはっきりして情報量が増えて診断しやすくなるので後に診た医者ほど“名医”になるのである。後医が前医を批判することはたやすいが、それは極めて不公平である。例えば今回の件でも最初の時点で動眼神経麻痺の徴候があったかどうかは不明だが、内頚動脈瘤を疑って血管撮影までするのは困難であろう。また、もし木曜日と金曜日と別の医者が診たなら金曜日に診た医者の方が“名医”ということになるだろう。後になって動眼神経麻痺の症状がはっきりしてきたからこそ脳動脈瘤を疑ったのである。幸いNさんは最初に見てもらった医師に不満を持っている様子もなく、またたとえ目の症状が後遺症として残ったとしてもこの症状のおかげで命が助かったのだから、と事態をよく理解をしてくれていた。
 後医が前医の医療を批判することが医事紛争の火種になるケースが最も多い。後医は前医をかばうというのではなく、「後医は名医」という言葉を肝に銘じて謙虚さを持ち、無用なトラブルを避ける心構えが必要である。と同時に患者さんにもこの言葉とその意味を是非知っておいてもらいたいと思う。

 

市場経済原理主義者たち

11月1日

 

11月1日

・市場経済原理主義
 熱狂的な国民的支持で小泉政権ができてから5年、日本では「イスラム原理主義者」ならぬ「市場経済原理主義者」たちが政治を主導してきた。竹中前大臣に代表される彼らは小泉前首相のブレインとなり、「聖域なき改革」と称して破壊してはならないものまで壊し始めている。
 彼らの思想は「日本のアメリカ化」ともいうべきものであり、すべての分野に競争原理を持ち込んで効率化・合理化をはかることである。もちろん効率化や合理化が悪いわけではなく、必要な所は多々あるが、問題は「すべての分野に」というところにある。医療を含む社会保障や教育の分野にまで全く例外なく競争原理・市場経済原理を持ち込むことは非常に危険である。特に医療分野においては歴然たる医療格差に悩むアメリカの医療の現状を見れば一目瞭然である。

 

彼らが厄介なのは、彼らがこのやり方を自分たちの利害に関わらず、「絶対正しい」と思い込んでおり、他人の意見を全く聞かないことである(だから“原理主義”なのである)。小泉前首相は実際には彼らに政策を丸投げしただけなのに、「ぶれないことが大事」と言ってはばからず、そのパフォーマンスで国民の喝采を受けた。

・拝金主義の蔓延
 私は共産主義者でも社会主義者でもなく、自分では外交面など思想的にはむしろ「右寄り」と思うくらいであり、小泉前首相を支持できる部分も多々ある。しかし、オリックスの宮内氏のような最も利害関係があり利益誘導したい立場の人間を改革のエンジンと位置付ける経済財政諮問会議のトップにつけ、規制緩和をやりすぎた結果がどうなったのか? ホリエモンや村上ファンドのような人々が成功者として持ち上げられ、若者たちは彼らのように額に汗をかかずに一獲千金を得たいとあこがれ、心を失い拝金主義がはびこった。
 大企業は会社を防衛するためリストラを行い、正規社員を減らし保障の要らない派遣社員や請負、さらには偽装請負といわれるような非正規雇用を大幅に増やした。ニートやフリーターが大幅に増え、たとえ職についても十分な社会保障はなく、労働のモチベーションはあがらない。一生懸命に働いても年収は200万円を切り、働けど働けど収入が上がらない「ワーキング・プア」と呼ばれる人々をも大量に生み出した。彼らの一部はホームレスになり、簡単には這い上がれない状態にある。これを「政治の責任」と言わずしてどうするのか。

・医療に市場経済はなじまない
 私を含め医療関係者の大半は「医療に市場経済はなじまない」と考えている。市場経済原理主義者たちの医療、あるいは介護・福祉・年金までも含めた社会保障分野に対するスタンスははっきりしている。
 今回、経済財政諮問会議の委員に入った八代尚弘国際基督教大教授は彼らの後継者のひとりで社会保障分野を主導するものと思われる。彼は、10月5日付の読売新聞のインタビューでも「高齢化社会にはさまざまな成長産業が存在している。特に医療では、すべての医療費を公的負担で賄うという発想を変えて、政府が責任を持つ公的医療と民間に任せる医療の二つがあると考えれば、民間の医療ビジネスが発展できる」とはっきり答えている。理念の違いと言えばそれまでだが、これは完全に経済人の発想であり、社会保障の基本理念をわかっていない人の考え方と思わざるを得ない。

 

・民間の医療ビジネスとは何か
 民間の医療ビジネスとは何か。今でも民間病院はあるが、これとは本質的に異なる。
 ひとつは株式会社の医療への参入である。つまり、経営に関しては素人の医師ではなく、医師の資格がなくともプロの経営者が病院経営をできるようにするということである。問題は医学の素人にすべて決定権があることであり、医学的な判断より経済的・経営的な判断が優先される可能性が非常に高くなる。ただ、今の制度のままでは儲からないので株式会社が医療に参入してくることはないが、混合診療の解禁や外国人労働者の医療への参入などの規制緩和が参入のための条件となっている。
 民間企業が医療に参入すれば、収益をあげることが第一になる。このような病院はきれいで広い病室、質の良い食事などアメニティの充実は当然のこと、腕の良い医師を高給でスカウトし、医師周辺のマンパワーも豊富で看護やその他のケアも至れり尽せりとなり、この病院にかかっている患者さんは大満足、ということになろう。お金さえあれば、いくらでも素晴らしい医療が受けられるわけである。お金持ちの中にはその方が良いという人も多くいるだろう。
 しかし、患者はもう「患者」でなく、もはや金銭を払ってそれに対する相応のサービスを要求する「お客さん」になってしまう。従って、医師がいくら患者を診たくても、経営者にとってみれば金を払わないものにはたとえ良いサービスがあっても受けられなくて当たり前、うちのような病院には来るな、金のない人でも診てくれる安物の公的病院に行きなさい、ということになる。

・貧富の差がそのまま医療の質の格差につながる
 お金さえ出せばホテルのスイート並の病室や豪華なフルコースの食事の提供が受けられる、そんな病院ができることは全然構わない。一番問題なのは貧富の差がそのまま医療の質の格差にまでつながる可能性が高い点にある。
 このまま混合診療が解禁になれば風邪などの軽い病気や逆にコストのかかる検査や薬も徐々に保険診療から外され、自費診療になっていくだろう。いきなり変えずに少しずつ少しずつ個人の負担を増やしていくのが役人のやり方であることは、老人医療の窓口負担の上げ方を見ればよくわかる。まさに命を金で買う時代になっていく。金持ちほど腕の良い医者にかかり、管理の行き届いた質の良い医療を受けることができる。
 経営者が営利を追求すれば当然救急や小児科、産科などリスクの高い(すぐに医者が訴えられる!)不採算部門は切り捨てられるか又は非常に高いコストが請求されることになる。医療のおいしいとこ取りをして割の合わないところは公的医療に押し付ける、そういった民間企業がはびこることが果たして本当に良いことなのだろうか。

 

・もうひとつの医療ビジネス
 もうひとつの医療ビジネスは医療保険ビジネスである。混合診療が解禁され、徐々に公的保険が縮小されると、切り捨てられた保険診療が自費負担になるので、それをカバーするための民間医療保険の需要が拡大していく。この保険は今あるような現金給付型医療保険ではなく、医療を受けるための現物給付型となる。
 現金給付型は入院したら1日5,000円とか、手術したら30万円とかお金がおりるという種類の保険である。現物給付型は現行の健康保険のように国や市町村や勤務先の保険組合が保険者となり、医療にかかった費用を保険者が医療機関に支払うシステムである。ここに民間の保険会社が参入して保険者になると、民間会社は利益優先であるから自分の会社が損になるような支払は絶対に認めないので、かける保険料の高い安いによって受けられる医療の質が保険会社によって勝手に決められてしまうようになる。すなわち、「このランクの保険ならこの病院しかダメです」とか、「入院日数は4日しか認めません」とか、「この薬は高いので使えません」など、医師がしたくなくても医療の質を落とさざるを得なくされてしまう。今のアメリカの医療状況がまさにそうなのだ。ここでもお金がなければ十分な医療が受けられなくなることになる。
 これらの病院経営や医療保険ビジネスへ積極的に参入したいと思っているがオリックスやセコムなどの企業である。「ビジネス・チャンスを拡げたい」といえば聞こえは良いが要するに「金儲けをしたい」一心であり、彼らは市場経済原理主義者たちの尻馬に乗っているのである。

・市場経済原理で医者はどうなるのか
 このままもし医療の市場経済化・自由化が進んで国民皆保険制度が崩れると医者はどうなるのか。腕の良い、あるいは人気のある医師はより高額の報酬を得、無理して仕事をせずとも患者を選べるようになり、体力的にも精神的にも楽になる。一方、実力や人気のない医師は患者が減り、医者の間でも経済格差・労働格差が広がっていく。
 自由診療の美容外科と同じ世界がすべての科に広がる可能性がある。カリスマ美容師と同じように、カリスマ医師がもてはやされ、億万長者のセレブ医師がたくさん出現するかもしれない。そう、自分の生活、保身だけを考えれば、腕に自信があり、実力のある医者にとってこの方向は決して悪い話ではないのだ。
 医者は金を儲け過ぎだ、という批判がある。しかし、早い人でも30歳を過ぎて一人前の医師になるまでどれだけ薄給か、家族を犠牲にしながらどれだけ体と心を酷使しているか、医者かその家族の当事者になって初めてわかる人も多い。勤務医といえども所詮会社勤めのサラリーマンと一緒、開業医にしたっていくら高額所得者といっても本質的には街中の電気屋さんやレストランなどの個人商店主や中小企業のオーナーと同じである。日本において、保険診療をしている医師の中で小金持ちはいても大富豪の開業医などいないのである。ただし、保険診療をせずに、美容整形など自由診療(医療の値段が医師の言い値で決まる)をしている医者はまた別で、セレブな方もいらっしゃるようだ。

 

・医師は何故市場経済原理主義に反対するのか
 では何故医者は市場経済原理主義のやり方に反対するのか。腕に自信のない医者ばかりだからなのか。医者の間で格差が広がることが嫌だからなのか。
 一見、質の悪い医師は淘汰されて良いことだと思う人もたくさんいると思うが、果たしてそうだろうか。患者にとってみれば重病でお金のない人は腕の良いベテラン医師には診てもらえなくなり、実力のない医師や新人の医師にしかかかれなくなる可能性が高くなる。実力のある医者にすれば、経済的な面や労働条件だけから見ればこの方向は決して悪い話ともいえない。むしろ歓迎すべきはずである。しかし、こんなことを望んでいる医師などほとんどいない。そんなに金儲けをして良い暮らしがしたいのなら皆とっくの昔にホリエモンや村上ファンドのような投資家なり起業家なり会社の経営者なりを目指していたであろう。
 医師の中で、良い暮らしをしたいことを一番の理由に医者の道を選ぶ者などほとんどいない。医師の仕事は自分や家族の生活をある程度犠牲にしないと成り立たない職業なのである。決して楽で儲かる職業などではない。
 医師を志す者はみんな、病気に苦しむ人々を救いたい、人々の役に立ちたい、という気持ちが原点にある。みんな患者の喜ぶ笑顔が見たい、そして一言「ありがとう」とねぎらってもらいたいのだ。
 ある程度損をしようが、手がかかって効率が悪かろうが、リスクが高かろうが、場合によっては全く無駄とわかっていようが、それでもやらねばならないことがあることを医師はみんなわかっている。だから医療に携わるものはこのような経済主導の医療制度改革に抵抗するのである。効率優先の経済人とは根本的な哲学が全く違うのだ。

・現在の日本の医療制度が最も優れている点
 現在の日本の医療制度で最も良い点は何か。保険証1枚あれば、わずかな自己負担で誰でも平等に日本国内のどこの病院でもどんな医師にでも診てもらえる点(和製英語だがこれを“フリーアクセス”という)である。情報さえあれば、どんなに遠くでも誰でも自分の病気にあった専門医を探して治療を受けることができるし、自分の意思で自由に主治医を替えることだってできるのである。日本人はこんなことは当たり前のことと思っているが決してそうではない。制限されている国はいくらでもある。
 市場経済原理主義による今の医療制度改革ではこの“フリーアクセス”の利点が消えてしまう可能性が高い。つまり、アメリカのように、お金がなければ患者が自分の意思で自由に医師を選ぶことができなくなるのだ。

 

・もっと医療の現場を見ろ! 患者の声を聞け!
 「事件は現場で起きてるんだ!」 ヒット映画「踊る大捜査線」の中で織田裕二の演じた青島刑事が、自分たちのエゴむき出しで衝突を繰り返す警察上層部連中に対して吐くセリフである。まさしくその通りである。医療の現場を全く知らない連中ばかりを集めて一体何を決めようというだろうか。医師あるいは医師会がいくら正論を言っても「既得権益を守るため」とマスコミに決めつけられ、バッシングの記事ばかり報道される。そうしないと新聞も売れないし、視聴率も上がらないからだそうだ。
 先日のNHKの医療番組を見ても税金の負担が多少多くなっても高福祉の社会(ヨーロッパ型社会保障)を求める国民の声が圧倒的に多い。経済原理主義者たちの目指す方向は低福祉低負担(アメリカ型社会保障)である。経済界や財務省の役人は経済の活性化を最優先し、生産性のない医療にかける税金の投入をできるだけ減らしたいと思っている。そのために、患者の一部負担金を上げたり、民間に医療を請け負わせたりして、無駄を省くと称し、医療の質を落ちようがそのことには目をつぶろうとしているのである。
 国民の多くはどちらのタイプの社会保障・医療制度を望んでいるのだろうか。財務省や市場経済原理主義者たちは国民の求める方向と全く逆の方向を突き進んでいるようにしか思えない。市場経済原理主義者・財界人との綱引き、言い換えれば経済至上主義と人道主義との綱引きである。このままズルズルと引っ張られて行って本当に良いのか。医師とともに患者サイドがもっともっと大きな声をあげ、風見鶏のマスコミを巻き込んで政治家を動かしていかなければこの方向が変わることはまずないであろう。