医療法人 さほり眼科

 

 

近鉄奈良線「若江岩田駅」近くの眼科。赤ちゃんの目の健康相談、こどもの視力低下から、大人のつかれ目、中高年の白内障、緑内障に至るまで幅広い診療を行っております。コンタクトレンズ指導・取扱い。
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2006年のひとりごと2

2006年度の日記一覧

今の日本に一番必要なものは何?

12月1日

 

12月1日

小泉前首相は最初の所信表明演説で「米百俵」の逸話を出して教育の重要性を説いたにもかかわらず、退陣するまでの5年間、教育問題については結局ほとんど何もしてこなかった。安倍首相が総理就任後すぐに教育問題に取り組む姿勢を表明したことに注目している。
 国会では教育基本法改正問題が審議され、「愛国心」をこれに盛り込むのか、表現をどうするのかなど議論されているが、今の日本で大人も含めて本当に必要な教育は何か、を以下の事例を通して考えてみたい。
 キーワードは「礼」である。すなわち、礼儀作法、礼節、英語で言えばマナー、そういったものが今の日本で、失われ欠けた部分であり、その部分が最も必要なものだと思う。最近の新聞の世論調査を見ても道徳心の欠如を指摘する人が非常に多くなっている。

 

1、国旗・国歌
 学校の卒業式などでの国旗掲揚、国歌斉唱の義務付けとこれに対して反対する人々について。
 国旗・国歌の問題は何も愛国心の問題ではない。これこそ礼儀・礼節の問題である。自国の国旗・国歌を軽んずるものは他の国々の国旗・国歌をも軽んずる。国旗・国歌を大事にすることはその国の文化と伝統を敬い、尊重することであり、これをないがしろにすることは「礼」を失すると言わねばならない。教育すべきは「愛国心」ではなく、「礼」の心なのである。
 よく中国や韓国で抗議運動の中で日本をはじめ他国の国旗を焼いたり、サッカーの試合前の国歌斉唱にブーイングを浴びせたりする光景が見られるが、先進国ではそういう光景はほとんど見かけない。こういう行為でその国の民度がうかがい知れ、他国に恥をさらしているようなものである。一時、アメリカでも日本バッシングが盛んな頃、日本製のラジカセをハンマーで叩き壊すパフォーマンスをした議員がいたが、これも幼稚な行為で成熟した大人のすることではない。
 戦前の軍国主義につながるからという理由で、日の丸・君が代に反対する人々がいる。ならば日の丸・君が代にかわるべき国旗・国歌を提案し、民意を得た上でかえればよい。国からの強制でなく、国民の大多数が日の丸・君が代を日本の国旗・国歌として認めている以上、その事実には従うべきである。特に教育者の中で、自分がそれを気に入らないからといってそれらを敬愛する姿勢を拒否することは他国の文化をも否定することにつながり、その考え方を生徒に押し付けるということは教育者としてあるまじきことだと思う。

2、たばこ
 歩きたばこをしている人間の多さに驚く。受動喫煙、こどもへのやけどの問題は当然のことながら、彼らの99%以上が路上にポイ捨てをする。ハワイでは公共の場での喫煙はすべて禁止になったようである。事実上、家の中でしかたばこが吸えなくなったらしい。最近は日本でも少しずつ規制が厳しくなりつつあるが先進国の中ではダントツの喫煙天国である。たばこの値段を欧米並みの価格(今の2~4倍)にすれば喫煙者は減り、医療費は削減され、税収もさほど落ちないのだが(イギリスで実証済み)、たばこ関連産業の反対や税収低下を恐れる財務省などの消極的姿勢でそうは簡単にいかないようだ。禁煙に成功したヘビー・スモーカーで、禁煙後に他人のたばこの煙を吸って初めて、こんなに臭くて不快なものだったのかと非喫煙者の苦しみに気付いて驚く人も多い。喫煙者はたばこの煙に麻痺していて全く苦にならないので、非喫煙者が煙たがるとそんなに大した事でもないのに大げさに言ってわざと意地悪しているように思うらしい。私はたばこの煙が大嫌いである(喫煙者の皆さん、ゴメンなさい)。その場でたばこを吸っていなくても、喫煙者と会話したり、電車の中などで隣に座ったりするだけでも、過敏すぎるのかその人の呼気だけで咳が出てしまう。喫煙者が肺がんや肺気腫になるのは自分の勝手だが、受動喫煙の害、特にこどもがいる場での喫煙は絶対にやめて欲しい。さらに、路上での喫煙、歩きたばこをする人のマナーの悪さは目に余る。たばこのフィルターは自然には分解しない。商店街や駅のホームでも所構わずポイ捨てをする。自分の家の前にゴミを撒かれたらどう思うだろう。たばこは火事の原因としてもトップクラスである。あまりの想像力のなさと無神経さにはあきれかえるばかりである。学生服を着て自転車に乗りながらたばこを吸っている女子中学生まで見かける。大人たちが平気でしていることでこの子たちを叱れるだろうか。他人に迷惑をかけているという意識がいかに希薄か、ここにも「礼」の無さがはびこっている。

 

3、電車の中
 電車の中での光景は私が若い頃とは一変してしまった。
イヤホンから外に漏れ聞こえるほどガンガンにして音楽を聞きながら足を広げて腰をずらして座る若者。優先座席があるからと思っているのか、老人や妊婦が乗ってきても席を譲る気配すら無い。場もわきまえず、両側のシートに座って大声でしゃべり続けるオバサン連中。車内の地べたに座る若者たち。車内で化粧する若い女性。遠足で大勢乗ってきて車内の座席を占拠してはしゃぐ小学生とそれを咎めない先生。こどもたちが車内でも他人に迷惑がかからぬようにおしゃべりをさせず、席が空いていても座らさないように先生が指導するのが当たり前ではないのか。そんな学校や先生ももはや数えるほどしかない。逆に中には席を譲らぬことに怒って怒鳴ったり、席を譲られても礼のひとつも言わずに周囲に不快な思いをさせたりする老人もいる。若者の中にも体調が悪いものや何がしかの事情がある場合もある。若者たちだけの問題ではない。こどもから老人に至るまで日本の国全体にモラル・ハザードが蔓延しているようだ。

4、学校で
 50分間座って話を聞けない、授業中立ち歩く、私語を止めない、先生の注意を無視する、先生にタメ口で話をする、果ては先生に暴力をふるう、など、学級崩壊は低年齢化して今や小学校で起きている。他人に迷惑がかかろうが、全体の規律を乱そうが、そんなことはお構いなし、何をしたって自分たちは法的に守られている、先生が手出しをすれば先生の負け、ということを彼らは良く知っている。
 まず、先生に限らず年長者を敬うという基本的な態度(=礼節)が全く失われている。以前はこのようなことはわざわざ教えられるものではなく、周囲の大人たちの振る舞いを見て自然に社会生活の中で身についていくものであった。学校で愛国心など教える必要はない。きちんとした礼節や道徳観さえ身につけば祖国愛・郷土愛的なものは自然と芽生えてくるはずである。こどもたちは大人社会の鏡である。こどもたちの間で起こっているいじめや学級崩壊、体力の低下など心身の乱れはまさに大人の社会の荒廃・閉塞感を反映している。何もこどもたちがすべて悪いわけではなく、本当に教育が必要なのは大人の方である。しかしながら、家庭や地域での道徳教育が機能不全に陥り、範を垂れるべき大人が全く当てにならない現在、学校の場での道徳教育を強化することは緊急避難的に必要なのかもしれない。もし教育の場で手を打つというなら、内容的にかなり工夫する必要はあるが、まず「道徳」の時間を増やし、小学校1年生から6年生に至るまで徹底的に「礼」の心、人を思いやる心を叩き込むべきではないか。

 

5、亀田兄弟
 ボクシングの亀田兄弟の態度が批判されている。何故か。相手に対する「礼」を失しているから不快なのである。非常に幼稚で未熟な人間に見えてしまう。全く戦争を肯定するわけではないが、例えば戦争という最も悲惨な殺し合いの場でさえ、相手の立場を尊重し、民間人は殺してはならないなど、最低限のルールが存在する。ましてやスポーツの世界である。戦う相手を貶めたり辱めたりする態度、すなわち礼節を欠く態度には人間性が感じられない。

6、ホリエモン・村上ファンド
 ホリエモンや村上ファンドに好感が持てないのは何故なんだろうかと自問自答してみた。彼らが金儲けがうまくて贅沢な暮らしをしていることに対するやっかみなのだろうか。そうではないように思う。やはり彼らの行動の中に「礼」の心やモラルといったもの、一般の経営者が企業や会社に持つような「愛情、愛着」といったものが全く感じられないからではないのか。彼らは多額の資金をかき集め、法の不備や盲点をついて陰で株を買占め、会社の乗っ取りをたくらんだり、株価を吊り上げる操作をして高値で売り抜けたりし、結局逮捕されたがルールは破っていないとうそぶく。
 農家の人であれ自動車工場や部品工場で働く人々であれ、世の中の人々の役に立ちまた喜ぶものを作りたいとか、医者ならば人の病気を治したいとか、検事なら世の中から悪をなくしたいとか、水商売ですらお客さんに安らぎや楽しみを与えたいとか、みんな何かしら人々の役に立ちたい、なるべく多くの人々が幸せになり満足が得られるようにしたいという思いがあるように思う。ホリエモンらには、仮に一部の顧客の満足はあったとしても、世の中の多くの人々に対するそういう思いが全く感じられない。少し前まで日本人が持っていたもの、いろいろな識者が言うところの、恥の文化、惻隠の情、武士道精神、思いやりの心、礼節、道徳、和の心、などいろいろな表現があるであろう、今の日本ではこういったものがどんどん失われつつある。
 かわりに日本人の中に入ってきたものが、利己主義、個人主義、合理主義、拝金主義、能力偏重主義、不道徳などである。上辺だけアメリカ型価値観を輸入し、日本文化の良い面を破壊した結果である。
 アメリカ文化にもそれなりに良い面もある。自己主張をはっきりするが、他人の意見も尊重し、他人の顔色をうかがったりはしない。個人主義だが、自己責任が強く、結果が悪くても納得する。アメリカには日本では考えられない大富豪もいるが、彼らの多くは慈善団体に多大な寄付して社会に還元することが当たり前に求められている。
 アメリカ人は、祖先がヨーロッパからアメリカ大陸に移住してきて開拓を勧める中、先住民族(いわゆるインディアン)と争い、自分や家族の身は銃を持って戦い自分で守るといった個人主義の精神が強く、それとともに隣人愛や同胞愛などのキリスト教的な慈愛精神をも併せ持っている。要するに彼らの行動規範は、彼らの持つ文化・伝統・宗教的バックボーンに根ざしたものであることをよく理解する必要がある。彼らの文化の中には行き過ぎた個人主義や合理主義を補完するものがある程度あるのである。

 

バブル期前後から日本型の会社経営が批判され始め、バブルに踊った企業の経営不振と相まって企業にアメリカ型の合理主義・能力主義が導入され始めた。アメリカ的な精神のバックボーンがないままこれらが推し進められたことにより、日本的な家族主義、終身雇用制、年功序列、正規雇用などの悪い面ばかりが強調され、急進的に排除されることとなった。その結果、年金や医療保険など、本来国が請け負うべきところを補完していた企業の社会保障が崩れ、以前は国民の90%がそうであると思っていた中流層が崩壊し格差社会が拡大し始めた。従来の日本的な経営形態では確かに能力のない人が上司になったり意思決定がボトムアップ式で時間がかかったり、無駄な面や合理的でない部分が多々ある。しかしながら、世の中は何も有能な人ばかりではない。大多数は平凡な人であり、従来の企業形態のままであればたとえ凡人であってもある程度安定をした生活が一生保障されていたわけで、民間の企業が本来は国がするべきセイフティ・ネットの役割を半分果たしていたのである。つまり国が今まで民間の企業に肩代わりさせていたセイフティ・ネットが破綻したわけで、国の税収の配分を早急かつ大胆に見直し、本来国が負担すべき社会保障費をしっかり確保すべき時期に来ていると思う。
 いつから日本人の心はこんなにも荒んでしまったのだろうか。
 日本人には古来「寛容」の精神が強い。日本古来の神道自体「八百万(やおよろず)の神々」というように多神教を容認する傾向が強く、聖書やコーランのような定められた経典も持たない。聖書やコーランに比べれば神道の祝詞などを聞くとよい意味でも悪い意味でもなんていい加減なものなのかと思ってしまう。仏教やキリスト教が初めて日本に入ってきた時も、当初政治的要素が絡んで若干の混乱こそ生じてはいるが、基本的に宗教自体は民衆の間にすぐに受け入れられている。キリスト教やイスラム教など、他国の宗教は唯一絶対神で非常に排他的であり、しばしば大きな戦争にまで発展しているのとは対照的である。
 第2次大戦後、アメリカは自分の国の価値観を日本に持ち込む占領政策を行った。日本人はその寛容さゆえそれらを素直に受け入れて発展した。イラク戦争で同じことをしようとしたアメリカはイスラム文化と日本人の民族性の違いを見誤って今非常に苦しんでいる。戦後のアメリカ的価値観の導入は文化的にも経済的にも日本にとって決して不幸なことではなく、むしろ多くの繁栄をもたらしたといえ全く否定するものではない。しかしながら、同時にアメリカの病んだ部分もじわじわと日本人の中に侵入し、日本人の精神性を破壊しつつあるのが現状ではないか。

 

この傾向が最も顕著になったのが1990年代のバブル期とその崩壊後の社会である。作家馳星周氏は近著「ブルー・ローズ」の中で「バブル経済以降、ありとあらゆる悪徳がこの国に降り注いだ」「金は万能だという錯覚が人々の脳髄を冒し、モラルは地に堕ち」などと強烈な表現を用い、衝動的で無意味な暴力を通してモラル・ハザードの極致を描いている。この風潮は「金さえあれば何でもできる」と言ったホリエモンに至る現在まで続いている。
 小泉内閣が推し進めてきた政策の方向がこの傾向に拍車をかけ、ここにきてやっと、以前に日本人が持っていた良き精神性、例えば礼儀正しさ、道徳心、義の心、思いやりの心、優しさ、奥ゆかしさ、家族的な面、よい意味での曖昧さなどといったものの破壊が進んでいるということに多くの人々が気づき始めた。数学者藤原正彦氏は著書「国家の品格」の中で、惻隠の情に代表される武士道精神を失いつつある日本人に警鐘を鳴らしており、この本がベストセラーになったのも今の日本を憂い藤原氏の主張に賛同し共感している人々がいかに多いかを示すものであろう。

 先日行われたアメリカの中間選挙でブッシュ共和党が大敗した。イラク戦争の失敗が主因とされているが、真の原因はアウトソーシング(仕事の外部委託)が進んでアメリカ国内の中流層が失業していびつな格差社会に変容したためという分析もある。越智道雄明治大教授は「グローバリズムによってアメリカの資本主義は、富の大半を上位5%の富裕層に集中させ、アメリカン・デモクラシーの中核を担った中流層を下層化してはばからない“非愛国的な資本主義”に変質した」と表現している。つまり、多くの中間層が陥没してブッシュ共和党にソッポを向いたためだというのである。日本はまるでアメリカの負の部分を後追いしているようであり、ブッシュ・アメリカ政府の言いなりになって越智教授のいう所の「非愛国的な資本主義」を“輸入”し続けた小泉内閣の政策がこのまま継続されるならば、このいびつな資本主義によって今日本で起こっている格差社会はますます拡大していくであろう。経済的な貧困と精神の荒廃とは決して無縁のものでない。生活苦は人々の心をも貧しくさせる。人々の心が荒めば、犯罪が多発し、治安が悪くなる。このことは決して下流層だけの問題でなく、必ずや「一部の富裕層」にも跳ね返り、もはや日本に住むすべての人々が安心して暮らせなくなっていくであろう。
 このようなモラル・ハザードは今、教育のみならず医療も含め、政治・経済・行政・地方自治など日本のあらゆる分野で噴出してきており、この状況を何とかしなくてはと危機感を募らせている心ある人々がようやく立ち上がりつつあるように見える。今こそこういう人々がどんどん増えていくことを期待している。このことが壊れつつある日本を立て直す原動力になるであろうと信じたい。