医療法人 さほり眼科

 

 

近鉄奈良線「若江岩田駅」近くの眼科。赤ちゃんの目の健康相談、こどもの視力低下から、大人のつかれ目、中高年の白内障、緑内障に至るまで幅広い診療を行っております。コンタクトレンズ指導・取扱い。
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2005年のひとりごと

2005年度の日記一覧

社会保障の危機は続く

2月1日

 

2月1日

混合診療解禁の問題は、一般市民を中心とした反対運動として大いに盛り上がり、非常に多くの国会議員の理解を得て、ついに「導入見送り」という形で決着した。へそ曲がりで他の議員の言うことにほとんど耳を貸さない小泉首相もこれだけ国民の反発を受けるとさすがに「これはまずい」と思ったらしい。患者から要望のあった欧米の未承認薬や患者の希望で行う手術などについては、現在例外的に混合診療が認められている「特定療養費制度」の拡充で対処することとなった。何も混合診療の全面解禁などしなくても、もともとこのやり方で十分いけるのだ。

 

それにしても政府の規制改革開放推進会議の議長M氏はどうしようもない。今回もこれだけ国民が反対しているのに、「どうして小泉首相がやろうといっていることが出来ないんだ!」と尾辻厚生労働大臣にくってかかって、激しい言い争いになったらしい。議会制民主主義をなめているのか!首相がやりたいことをそのまま全部通すのなら、議会なんて要らない。どこかの隣の国の独裁者と同じである。この人には中学レベルの社会の教育がいるらしい。大体、この混合診療の解禁や株式会社の医療への参入にしても数年前か話が出てきては反対が強くてつぶされ、ほとぼりが冷めた頃合いを見計らってまた同じ案を出してくる。これらの案はいずれも国民の為とか何とか言いながら、結局は医療の分野でひともうけしたい連中の考えなのだ。M議長にとっては自分の会社のもうけになる話だからやりたがるのは当然で社会保障のことなんかまったくわかっちゃいない。
 大体、先ごろのプロ野球界の混乱にしてもそうだ。引き金はオリックスによる近鉄の合併吸収である。オリックスという会社は球団買収であれだけ名を売って宣伝広告塔としては十分元は取れているにもかかわらず、ちょっと球団経営が苦しくなるとイチローをポスティング・システムでメジャーリーグに売り飛ばしたり、契約金なしの力のない選手を大量に入れたりする。その結果、チームは当然のごとく最下位続きで失点の日本記録を何度も更新する有様である。
 そんなチームを金をかけずに少しでも強くし、1リーグ制にして巨人や阪神と試合をして赤字を減らす一石二鳥の方法が近鉄の合併吸収だったのだ。だから、近鉄を買うという会社が出ても聞き入れず、どうしても1リーグ制にしたかったのだ。でも、ファンが納得せず、楽天が参入し、2リーグ制が維持されたのは幸いなことであった。
 このオリックスのオーナーこそ先ほどのM氏である。2リーグ制の存続が決まり、専門家やプロ野球を愛するものの大多数が球団を減らすことはプロ野球の衰退につながるといっているにもかかわらず、この人は未だに自分の思う通りの1リーグ制にならなかったことに不満を言い続け、まだ諦めていないと公言してはばからぬどうしようもない人間である。
 この構図は今回の混合診療解禁問題と全く同じである。社会保障全体やプロ野球界全体を全く見ずに自己の利益になることばかり考えているといわれても仕方あるまい。規制改革開放推進会議のメンバーに社会保障の専門家はひとりもいない。医療・介護・年金のわかる人はひとりもいないのである。社会保障に経済至上主義はなじまないというのは社会保障の専門家なら誰でも知っている。だから、今回の件でもいつもは対立することの多い厚生労働省と日本医師会の意見は「混合診療解禁反対」で全く一致していたのだ。でもあの了見の狭いM氏はまだ諦めていない。社会保障に関して小泉首相は非常に危ない。規制改革開放推進会議が偏ったメンバーのままで続く限り、日本の社会保障の危機が去ることはないだろう。

 

積極的なガン対策を!

7月1日

 

7月1日

日本人のがんによる死亡者数が伸び続けています。欧米のがん死亡率はここ10年ほど横ばいに近い状態ですが日本の伸び率は他国に比べ群を抜いて悪くなっています。肉食を中心とした食生活の欧米化や意識的と思えるほど非常に鈍い行政の喫煙対策などが根底にあることは間違いありませんが、最も大きな欧米との差は政府の取り組み方の姿勢の差だと思います。
 特にアメリカでは1980年代に政府が「対がん戦争」を宣言し、国を挙げてがん対策に取り組みました。最も大きな柱は全米からあらゆるがん情報を一カ所に集め、それに対する対策を行う専門の拠点施設を作ったことです。日本にもがん対策の拠点病院として国立がんセンターがあり、そこの医師は日夜ハードな診療を行っています。しかし、日本では癌に対する情報の収集や情報の発信はがんセンターの医師らがわずかな週末の空き時間を利用してやっている状態です。日本では国が全く医師個人のボランティアに頼りきっているのに対し、アメリカでは医師以外の多数の専門スタッフがいて、この仕事に専任している点で非常に大きな違いがあるのです。

 

大体、日本の医療研究全体への予算が年間約500億円であるのに対し、アメリカではこの施設のみで年間5000億円もの予算が認められています。ここには患者の体験や意見も多く取り入れられて対策が取られており、乳がん検診を受けない低所得者層のためにわざわざ個人の家までスタッフが出向いてタクシーで検診に連れて行くほどの積極策を取っているのです。
 患者団体などの突き上げにあってようやく厚生労働省もがん対策に乗り出し始めてはいますが、それもあくまで厚生労働省の予算の範囲内であり、アメリカのように政府が「国を挙げてがんと戦争するぞ!」という意気込み・規模のものではありません。医師のボランティア精神にのみ任せてきた政治の無作為ぶりには呆れるばかりです。

 道路公団、社会保険庁、官庁でいかに国民の血税がルーズに使われてきたかは連日連夜報道されている通りです。こういう税金の浪費をなくすことが急務であることは当然のことですが、大事なことは税金をどう使うのか、その優先順位を徹底的に見直すことです。病気を治すお金がいる時に、テレビや家具を買い換えたり、いっぱい寄付をする人はいません。がんで亡くなる人がどんどん増えていっているのにさほど役に立たない新幹線を造ったり、田舎に高速道路を建設したり、ODAにお金をつぎ込んだりするのはいかがなものでしょうか…疑問に思わざるを得ません。
 財務省の役人は経済的なことしか頭にありません。経済人は金儲けのことしか頭にありません。一部の政治家は票の事しか考えていません。医療や介護や福祉などの社会保障は生産性がないと思い込んでいる人々は出来るだけ社会保障費を切り詰めようと考えるのです。しかし、何が最優先されるべきものかを良く考えて欲しいものです。

 医療費を削減しようと思えば受診抑制を図るのではなく、逆にもっと予防医療に積極的に力を入れるべきなのです。医療で最もお金が掛かるのは重症の末期がん患者などの終末期医療なのです。延命の目的で高価な抗がん剤を湯水のごとく使い、1ヶ月間に何千万円も使われる場合もあります。がんの早期発見・早期治療によってこんな医療費の使い方は減らすことができるはずです。企業だって道理の分かった会社は合理化するために先行投資をします。無駄な経費を削減することはもちろん必要ですが、お金のかけ方によっては重症患者が減り医療費の削減につながるのです。

 

ただし一面、医療には救急医療、僻地医療、小児医療など絶対必要なのに採算の合わない部門も存在します。このような分野は赤字だからといって切り捨てていっても良いのでしょうか。医療が経済の市場原理になじまないのは自明の理なのにそれを理解しようとしない経済人が多いのには困ったものです。医師会も頑張っていろいろと主張しているのですが、「どうせ医者の利益のための団体やろ。」と色メガネで見ている人もあり、医師の発言だけではどうしようもありません。患者はもっともっと政治に対して怒りの声をあげるべきだと思います。

 日本でもアメリカ並みに、今の国立がんセンターを中核にしてもっと専従スタッフを大増員して全国にネットワークを張り巡らした大規模な施設に発展させることが急務なのです。必要なことなのかもしれませんが、バカの一つ覚えみたいに「郵政民営化」ばっかり唱え続けるのではなく、若くしてがんで亡くなっていく人がどんどん増え続けている現状を見て、何を優先して取り組むべきなのか、危機感を持つトップ政治家がもっと出てきて欲しいと願うばかりです。
 二子山親方にしろ、漫画家の中尊寺ゆつこさんにしろ、若い人のがん死ももう珍しくはありません。有能な人材が志半ばでこの世を去っていくのは経済的な面からもこの国にとって重大な損失であるはずです。20年以上も前にがん死に対する重大な危機感を持って思い切った政策を実行したアメリカの政治家が、日本の政治家に比べてつくづく立派だなと思ってしまうのは私だけなのでしょうか・・・。

 

只今勉強中

12月1日

 

12月1日

長女が大学受験で、医学部を目指して勉強中です。別に後を継いで欲しいと思っているわけでもありませんが、父親の姿を見てよほどお気楽に見えるのか、小さい頃から医者になりたいと言って勉強してきました。
 いよいよ試験ということで、親としても何か助けてやりたいと思うのですが今さら数学や英語もままなりません。そこで面接や小論文なら、ということでこちらも少し勉強し始めました。

 勉強はできるけど性格の変な者が医者になっては困るということで、最近はどこの医学部でも必ず面接や小論文を課しています。テーマはもちろん医系分野が多く、社会に求められる医師像、安楽死、脳死、医療過誤、遺伝子診断、生殖医療、医療経済などの問題が出題されますが、中には地球規模の環境問題、人口問題、南北問題(経済格差)や外交問題まで問われることもあります。医療の問題に関しては学校や予備校の先生よりこちらの方が本職だという自負もあって夏頃から対策ノート作りを始めました。

 

新聞の切り抜き、医師会雑誌や医学専門書、医系小論文の参考書などに目を通していったのですが、全く知らなかったことや曖昧に考えていたこともたくさんあり、娘の受験のおかげで図らずも自分自身大変勉強になりました。

 娘が小論文を書いたから見てくれといってちょこちょこ持ってくるのですが、こちら(医師)の意見と受験参考書(教育者側)の意見と合わない点もあり、時々言い合いになったりもします。脳死・臓器移植や安楽死、生殖医療など是非を問われる問題は大抵賛否両論あって、数学や理科のようにひとつの正解があるものではないので、賛否両論を熟考し論述した上で悩みながらもこちらの意見を選択するというのが実際のところだと思うのです。ところが受験参考書には自分の意見・結論をまず明確にしてから論述せよと書いてあり、そういう書き方は曖昧でよくないというのです。結局小論文の良し悪しなどというものは採点者の主観によって大きく変わるものですし、形式やテクニックにとらわれず、いかに自分が医療に関心を持って勉強し、その上でギリギリの結論を出したという思考の深さを示すべきだと私は思うのですが・・・。

 どうしても試験となるとテクニックに走りがちなのですが、小論文や面接を課すことは我々の受験時代にはなかったことで、このことによって社会の中での医師のあり方や現在の医療の問題点を考える良い機会が与えられるので、非常に社会にとっても有意義だなと再認識させられました。こういう勉強をして問題意識をしっかり持った新しい医師がどんどん出てくることは社会にとって非常に喜ばしいことだ思います。受験を目前に控えて不安いっぱいながらも娘の受験がうまくいって立派な医師に成長していくのを楽しみにし、親バカしている今日この頃です。