医療法人 さほり眼科

 

 

近鉄奈良線「若江岩田駅」近くの眼科。赤ちゃんの目の健康相談、こどもの視力低下から、大人のつかれ目、中高年の白内障、緑内障に至るまで幅広い診療を行っております。コンタクトレンズ指導・取扱い。
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2011年のひとりごと

2011年度の日記一覧

果たして初診料2,700円は高すぎるのか?~朝日新聞は正々堂々と論陣を張ったらどうだ!

3月1日

 

3月1日

平成23年2月12日、朝日新聞大阪本社版朝刊の読者投書欄に、千葉県八千代市在住の72歳会社員男性からの投書として以下のような文章が掲載された。

▼ 診察1分にしては高い請求
(千葉県八千代市、72歳、会社員、男性)
先日、首の辺りがかゆくて近くの皮膚科で診てもらったら、1分程ぐらいの診察で「かゆみ止めの薬を出しておきます」と言われた。
あとで請求書兼領収書を見たら初診料2,700円、投薬料680円-総診察料3380円となっており、時間的に見ても、この金額は高いように私には思えた。
医師にしてみれば、それこそ「技術料」といったようなことなのかもしれない。しかし、機械を使って精密検査などをしたのならまだしも、今回は医師が目で見ただけで簡単に診断できたにもかかわらず、こんなに取るのはいかがなものか、という気がする。
健康保険に入っているので、実際に私自身が支払った金額は1割で済んだが、健保が負担する残りの費用などを考えると、医療費をめぐる国民全体の負担が膨れ上がっていくのも当然かもしれない。
高齢化が進み、医療費の負担にあえぐ家庭は今後ますます増えていくだろう。そうした意味でも診察料の軽減を考えてほしい。

(平成23年2月12日朝日新聞大阪本社版朝刊より)

 

実は約2週間前の1月31日付の朝日新聞東京本社版朝刊にも同じ男性からの同じ投書が掲載されていた。ただし、東京版では「近所の医者は大きな家に住み、高級外車に乗っている、医者は儲けすぎではないか」という旨の文章があったのだが、大阪版では削除されていた。
たかが一個人の感想を問題視するのは大人げない気がしないでもなかったが、裏に朝日新聞記者の姑息な意図が見え隠れしており、最初の投稿以降、投書の内容と朝日新聞社の手法に対して、ネット上では非常に多くの医師たちの間に猛反発が広がっている。

<反論1>
 初診料、再診料には様々なものが含まれている。最大のものは医師の技術料である。長年かけて勉強して知識を蓄積し、さらに医学の進歩に合わせて知識を更新し、経験を重ねた上で、的確な判断をするのは決して簡単なことではない。それだけではない。医療従事者や事務員の人件費、ガーゼ・脱脂綿や消毒用イソジンやアルコール、洗浄用生理食塩水などの医療消耗品の費用、レセプトコンピューターの導入・維持費用、レジスターや領収書・明細書発行の用紙代などの事務消耗品費、診療所の修繕費、その他諸々、診療報酬としては全く請求できない費用はすべて初診料や再診料に含まれる。
散髪代3,600円、パーマ代20,000円、水道修理代5,000円、トイレのトラブル8,000円、その他弁護士の相談料、占い師の相談料などに比べても医者の初診料27,00円は本当に高いのか? 投書の男性には「あなたの体はトイレ修理の半分以下の値打ちしかないのか」と問いたい。

<反論2>
ある調査によると先進西欧諸国主要都市での初診料は、バンクーバー32,200円、デュッセルドルフ25,700円、ニューヨーク21,400円、香港21,000円、ローマ19,300円、ロンドン16,100円、ロサンゼルス16,100円、ホノルル13,100円と、西欧諸国では軒並み15,000円以上であり、比較的安いところでもストックホルム6,400円、パリ3,200円、ソウル3,200円で、日本の初診料2,700円は北京2,700円、台北2,100円などと並んで最低レベルである。外国人が多く受診するような医療機関ではその安さに皆が一様に驚くという。しかも日本では国民皆保険制度で受診したい医療機関は全国どこでも自由に選べる「フリーアクセス」が保証されている。これでも初診料2,700円は高いといえるのだろうか?

 

<反論3>
今の診療報酬制度の下では診察が1分で終わろうが1時間かけて説明しようが診察料は同じである。もし時間でものを言うのなら、逆に時間をかけるほど高額になってもよいということになるがそれでもよいのか。
また、医師の技術料については先述したが、現制度では卒後1年目の研修医でも医師歴30年の大ベテランでも、どんなに実績のある名医でも腕の悪い医者でも、初診料・再診料は一律で全く差はない。腕の良い、経験豊富な医者の技術料はもっと高くても良いのではないかという議論はいつもあるが結局のところ、全く変わらない。患者にとってはしっかりリサーチして医者を上手く選べば非常にお得なわけでこれでも初診料2,700円は高いというのか。
さらに言えば、この男性の場合は非常に軽微な皮膚症状で受診したわけであるが、診察で偶然皮膚癌など重大な病気が見つかることも決して珍しいことではない。そういう場合には初診料2,700円はむしろ「安すぎる」わけで、診察結果によって初診料や再診料の値打ちが変わってしまうことなどは全く頭にはないようだ。
また、皮膚科や眼科など、あまり命に関わりのない診療科は低く見られがちであるが、内科や外科なら命にかかわることがあるから初診料や再診料はもっと引き上げるべきなのだろうか。他の患者も診療科によって初診料の差をつけることなど果たして望むのだろうか。
つまり、今の日本では診察の時間、医師の技量、診断結果、診療科などによって診察料が左右されることはないが、一方で患者は医師を自由に選べる非常に有難いシステムになっている。国によっては住んでいる地域や加入している健康保険の種類で受診できる医療機関が指定され、かかりたい医者が自由には選べないところはいくらでもある。患者側にとってはこの投書の男性が感じたようなデメリットよりメリットの方がはるかに大きいと思うのだがいかがだろうか。この男性の見方は非常に一面的で底の浅い考えと言わざるを得ない。
診察結果をみて物を言うこの男性の言い分は、診察して検査した結果異常がなかったから診察料は払わないというモンスター・ペイシェントの非常識な言い分と大差ない。そもそも国民皆保険の制度自体が健康で医者にかからない人ほど損になる仕組みにできており、それはその分病気になった人々に回されるわけで「共助」の精神に上に成り立つものである。それを否定するのは一向に構わないが、代わりの制度がより格差社会に拍車をかける可能性が高いということを分かっているとは到底思えない。
 よく日本人は「水と安全はタダだ」と思っているといわれるが、医療も然りで、医者など自由にかかれてしかも安いのが当たり前だと思っている。しかし、この医療制度は医師に対する抑圧の上に成り立っており、昔のように患者から感謝されていた時代ならまだしも、昨今のように医師を非難するような風潮が増すにつれ医師たちの間にはどんどん不満が膨れ上がっていることを知るべきである。

 

<反論4>
 「機械を使った診察でもないのに高すぎる」というくだりは果たしてどうなのか。これも日本の患者が医師の技術料をいかに軽く見ているかの表れである。この男性にとっては、診断をつけるために「機械を使う検査」や血液検査をフルコースでする医者の方が、無駄な検査を省いて的確な判断を下す医者よりもありがたいのだろうか。
 日本の国民皆保険制度は、貧しい患者でもしっかりした医療が受けられるようにという趣旨のもとで始まった制度であり、医師の不満をよそに医師の技術料は過度に低く抑えられたが、「足らない部分は薬価差益など他の部分で補って下さいよ」と裏で厚生省に言いくるめられてスタートした。ところが、数十年経ってマスコミなどから「医者が薬価差益で儲けるのはけしからん」とか「医者は儲けばかり考えて検査漬けにする」などと批判されるようになると、そのような口約束などは忘れ去られ、今や薬価差益などないに等しいどころか、院内処方の診療所では期限切れのデッドストックや消費税の損税によって不利益が出る始末である。だからと言って「無形である」医師の技術料は全く上がらず、医師の間では不満が渦巻いている。だからこういった「初診料が高すぎる」といった批判には敏感に猛反発するのである。
この皮膚科では無駄な診察時間、無駄な検査は全くなく、ルールに従って必要最小限の請求しかされておらず、良心的すぎるくらい良心的である。この男性はむしろ余計な検査をされずに短時間で安く済んで良かったと喜ぶべきではないのか。

<反論5>
「近所の医者は大きな家に住み、高級外車に乗っていて儲けすぎではないか」というのも全く感情的で悪意に満ちた根拠のないものと言わざるを得ない。一部の医者がそうであるからといってすべての医者がそうであるとは言えないし、もしすべての医者が仮にそうであったとしてもほとんどの医師はそれに見合うだけの研鑽を積み、努力をして骨身を削って働いてきた結果得たものであり、何ら非難されるべきものではない。それどころか近年は診療報酬の締め付けが厳しくて借金を返すのに四苦八苦している開業医も多く、医師優遇税制があった昔の医師の時代とは全然違う。それでも不当だというのなら、ほとんどの医師はやる気を失うであろう。全く医師という職業に対していかに理解がないのかと嘆かわしくなる。
株の売買や商売で成功し、大儲けした者がもてはやされる一方で、自らの家庭をも犠牲にして患者のために寝食を忘れて働いている医師が少し良い暮らしをしているからと不満をぶつけられるのはどういうことなのだろうか。おそらくこれは、これら一般企業の経営者などと異なり、医者は公費(税金)から収入を得ているとみんな漠然と思いこんでいるからのような気がする。実際は医療機関への支払いは診療報酬制度によって保険料と公費と窓口収入の3つから成り立っているが、そこで支払われる診療に対する対価は国によってかなり安価に設定されており、自由に引き上げることはできない。医師個人の収入はその中から仕入れた薬の代金、従業員への人件費、医療器械のリース料、家賃、備品の購入費、修繕費など諸々の経費をやりくりして差し引いた中からやっと最後に得られるものである。
そもそも医師という職業は国家公務員でもなく、ボランティアでもなく、自由業である。医師にも家族があり、生計を立てねばならない。最近でこそ少し改善してきたが、医師として一人前になってまともな収入を得始めるのはほとんど30歳を超えてからであり、他の職種に比べると非常に遅い。それでも患者のためを思い、国民のためと思ってこの制度を甘んじて受け入れているのである。こんなことを言われるくらいなら保険医療など捨ててしまって美容外科医と同じように医療の値段を自分たちで自由に設定し、それでも自分の腕を買ってくれる患者だけを相手のした自由診療にしてしまおうという医師がますます増えてくるかもしれない。そうなれば国民皆保険制度は一気に崩れ、国民全体としての損害は計り知れないものになるであろう。

 

<反論6>
 「自分は健康保険があり1割負担ですんだが国民医療費は高騰しており、診察料の軽減を考えるべきだ」というくだりもとんでもなく短絡的である。
まず、そんなに国民医療費の高騰が心配ならそんな些細な症状で健康保険を使うな、国民医療費を引き上げているのはむしろ自分だろう、ということになる。国民医療費の高騰を抑えたい財務省などはちょっとした風邪ひきやこの男性のような軽い病気を保険診療から外して自費診療とすることを虎視眈々と狙っている。そこまでいかなくとも、医療保険を高額医療費の軽減を柱とし、定額医療費の自己負担を4割以上に引き上げるという考えを主張する経済学者もいる。このような主張はまさに医療の内容を考えない財務官僚や経済学者の思うツボである。
タダだからと救急車をタクシー代わりに使ったり、便利だからと夜間小児救急をコンビニ受診したりする患者が大勢いる今の世の中である。こういう人々には、医療は公共財であり、共同体の共有財産であって、みんなで大事に守り育てていくべきものであるという意識が決定的に欠落している。アメリカ的自由主義が行き過ぎた結果、自己中心的な権利意識ばかり高まっている昨今、診察料を下げることで国民医療費が抑えられると考えるのは実に短絡的である。むしろ診察料が安くなってこのご老人のような、無駄とは言わないが、非常に軽微な症状で受診でする患者が増えるほど医療費を膨らませる結果になりかねない。

<反論7>
今回の件では最初の投書の約2週間後に千葉から遠く離れた大阪版に、しかも少し言い過ぎの部分を削り、タイトルを変えただけの形で、同じ内容の投書が載るのは非常に不自然である。一方では、九州在住のある医師が朝日新聞西部支社に反論の投稿をしたところ、西部支社から電話があり、指摘された投稿は西部支社の掲載ではないので反論投稿の掲載はできないと言われたという。また、関西在住のある医師が、投書の表題や内容変更の件について朝日新聞大阪本社に抗議の電話をしたところ、それについては明確な返答がなく電話を一方的に切られたという。
もちろん世の中には多種多様の考え方があってそれを個々で主張するのも自由であって、こういう意見があることを全部否定するものではない。しかし新聞社に届く数多くの投書の中からどのような内容のものを取捨選択するかは新聞編集者の一存にかかっており、新聞社の意図を色濃く反映していると言わざるを得ない。
新聞がある意図をもって何らかの主張をしたい時に読者投稿などで観測気球を打ち上げ、反応を見てから社説などに取り上げるのは常套手段であるという。時には記事自体を捏造することすらやりかねない(朝日新聞には前科がある)。従って、この投書は単なる一個人の意見として取り上げるべきではなく、裏に朝日新聞編集者自身の、医師に対する批判や偏見・悪意があるのは明らかである。
自らの主張があるのなら、言い逃れができるように一個人の投書に隠れてコソコソと反応を伺うような姑息で卑怯な態度ではなく、正々堂々と論陣を張ったらどうなのか。我々医師は真っ向から反論したい気持でいっぱいである。このような朝日新聞の偏向報道のひどさは今に始まったことではないが、このような意見を載せて多くの善良な医師を攻撃することに本気でメリットがあると思っているのであろうか。そのことが引き起こすデメリットに思いを巡らせたことはあるのか。マスコミが医療制度に対してこの程度の浅薄で思慮のない理解しか持っていないとすればもはや絶望的である。

 

おわりに
我々医師の大多数が国民皆保険制度を支持しているのは、この制度の理念が貧富の差によって受ける医療の格差が生じにくいシステムであるからである。しかし、こんな意見が罷り通って医師に対する不当なバッシングが続くようなら、医師のモチベーションが下がるのは必至であり、必ずや医師の間に、そんなにまでして国民皆保険制度の維持に協力する必要があるのか、保険医なんか辞退してしまって昔のような自由診療にしてしまえ、という意見が湧き上がってくるであろう。そうなればアメリカのように金がない者は十分な医療は受けられない国になってしまうがそれで良いのか。それを肯定するなら論外だが、そうならないように国民の理解を深めるのは果たして医者の仕事なのだろうか。それこそ政治家の仕事であり、それをしないのは政治家の怠慢ではないか。また朝日新聞のようなマスコミが浅知恵で大衆迎合に走り、国民をミスリードしていくことの責任は非常に重大であり、そのことが招く結果に対してどう責任をとるのか、朝日新聞社にはその手法も含めて猛省を促したい。

追記
 その後の読者の反応や医療関係者からの抗議を見てどうも旗色が悪いと感じたのか、朝日新聞東京版と大阪版にそれぞれ以下のような反論の投書が掲載されたことを追記しておく。このような見方をするまともな感覚の人が大多数であると信じたい。

 

▼ 「短い診察 楽に高収入」は誤解
(東京都世田谷区、47歳、医療事務、女性)
「短い診察時間でも高い診察料」(1月31日)を読みました。皮膚科での診療1分というのはどういう内容か不明ですが、国民皆保険制度により全国どこでも診察料金は同じです。診療時間が1分でも1時間でも値段は変わりません。
 診察料が3380円というのは決して高くはなく、先進国としては安い方だと言われます。また、精密検査をしなければ高い値段をとるなというのは疑問です。
 医師は専門職で、資格を取るために、ほとんどの方は相当な時間とお金をかけ勉強しており、自分の一言に責任を持って診断を下しています。診察の価値は検査のあるなしとは直結しないのです。 短時間で楽にお金をもうけていると思われるのは、何とも残念です。
 私が働いている医院は外国人の来院が多く、母国語で様々な質問に答えて差し上げるので診療時間が長くなるのですが、810円の自己負担と知ると、こんなに安くていいのかと驚かれます。370円ほどの再診料には更に驚かれます。
 医療費がかさむのは患者の再診が諸外国に比べ非常に多いことがあるのではないでしょうか。まともな保険診療

 

東日本大震災と共同体主義(コミュニタリアリズム)

8月1日

 

8月1日

3.11の東日本大震災から5カ月が経とうとしている。

被災直後の東北の人々が示した忍耐、沈着冷静、礼節は驚嘆と賛辞を持って全世界中に報道された。水や食料の配給や買い出しに、寒さの中整然と列をなして黙々と並び、十分とは言えない決められた数量であっても不平一つ言うどころか、感謝の言葉を言う人々の姿に逆に世界中の人々は希望と勇気を与えられたようである。

 

このような報道は同じ日本人として誠に誇らしく、被災された人々には強いエールを送りたい。その一方、誤解を恐れずに言えば、同じ日本人の目から見ればこのような振る舞いは至極当たり前とも言え、そんなに驚き絶賛されるようなことなのか逆に驚いてしまう面もある。2005年8月に米国で起きた超大型ハリケーン・カトリーナの際に起きた被災民のパニックや略奪、商店の便乗値上げや、上海万博などで中国人が我先にとチケットを取り合う映像などをみると、確かに世界水準ではやはりこのような振る舞いは褒められるべきことなのかと妙に納得してしまう。

米国では近年、行き過ぎた個人主義への反省からか、日本でも「白熱教室」で人気の高いマイケル・サンデル米ハーバード大教授の政治哲学論が脚光を浴びている。米国の市場経済発展は、個人の権利を最重視し、教育・医療・福祉に至るまですべてを市場原理に任せればよいとするリベラリズムの拡大を招き、その結果、地域社会は弱体化し、様々な問題を引き起こした。サンデル教授はこのような新自由主義に疑念を持ち、1980年代より市場経済原理主義を批判してきた。

米国の新自由主義の潮流は「外圧」となり津波のごとく日本にも押し寄せ、それの呼応するように国内の新自由主義者が実権を握り、「聖域なき規制改革」の美名のもとに市場経済原理主義が推し進められた。その結果、良くも悪しくも伝統的に共同体意識の強い日本のような「ムラ社会」でさえ共同体が弱体化し、独居老人の孤独死、幼児虐待、無縁社会、振り込め詐欺の横行など、共同体の最小単位である家族の意識まで崩壊が進んだ。日本は米国の後追いをし、個人主義の暴走はごく一部の「勝ち組」と「負け組」の拡大を生みだし、アリ地獄のようなデフレ・スパイラルと相俟って先に希望の見えない社会に突入した。日本のみならず、本家本元の米国でもこのままでよいのかという新自由主義・市場経済原理主義に対する疑問や批判、反省の声が広がり始めた矢先に東日本大震災が起こった。

 

最初に述べた東北の被災者に対する賞賛は日本人特有の礼儀正しさや几帳面さだけではなく、地方ゆえに根強く残る共同体意識によるところも大きいと考える。東北の人々は日本の中でも特に忍耐強く、温和であることもあるが、大都市圏と比べてまだまだ日本の伝統的な共同体=地域社会の絆が強く残っていると感じられる。全く政治が機能しない中でも国民は素早く反応し、積極的なボランティア活動や活発な募金活動の輪が広がった。極めて不幸で未曾有の国難の中、被災地の人々が示した強い共同体意識に呼応して日本国民全体の中に同朋の危機に対する共同体意識が湧き上がり、さらに世界中の人々にまで共感が広がったことには希望の光を感じる。

新しいコミュニティの再構築は何も被災地ばかりの問題ではないことを提起したい。この大震災によって日本中に呼び起された共同体意識をさらに高め、被災地のみならず大都会においても弱体化あるいは崩壊した家族、会社や職場、学校から地域社会といった小さなコミュニティを再構築する好機ととらえるべきと考える。さらにその意識は市町村、都道府県、地方ブロック、そして日本国全体へと広めていく必要があろう。

そして、医療・介護・福祉・教育・安全といった公共的分野にこそ最も共同体主義の意識が必要である。しかし、政官財が主導した行き過ぎの個人主義・自由主義は根深く残っており、経済優先の名の下にいまだにこういった公共的分野に市場原理を持ち込もうとする動きがくすぶっている。積極的な経済政策や、能力主義・効率主義といったものがある程度必要であることは間違いではないが、すべての分野に市場原理を取り入れたり、極端に個人主義を偏重したりすることはあまりにも大きな社会のひずみを招いてしまう。

女子サッカーでなでしこジャパンが個々のフィジカルを前面に押し出した「個人主義」の欧米のチームに対して、チーム力を高めて「共同体主義」のサッカーを貫いて打ち勝ち、ワールドカップを手にしたことは非常に象徴的に思える。今の政治の体たらくをみると悲観的にならざるを得ないが、官財の横暴を抑え込めるのは政治家しかいない。この大震災を機に、個々の共同体意識の高まりが一人でも多くの政治家を動かし、個人主義・新自由主義的な考え方からの脱却を促し、共同体主義的な政治哲学に共感して行動してくれるようになることを望みたい。

 

眼科の新しい検査機械~光干渉断層計(OCT)~の導入

11月1日

 

11月1日

当院では4月より、眼科の新しい検査機械である光干渉断層計(OCT)を導入しました。かつてMRIが登場した時、すべての医師はまるで解剖図を見るようなその画像に驚嘆し、感動しましたが、このOCTという機械は眼科の医師とってまさにMRIに匹敵する驚きなのです。
OCTは非常に“すぐれもの”です。眼球というピンポン玉サイズの非常に小さな器官の中の、網膜や視神経乳頭、さらに角膜といったさらに微細な層構造をまるで病理組織切片を見るがごとく鮮明な断層画像を見ることができるのです。原理的にはCTのような放射線を用いるものではなく、近赤外線ビームを組織に当ててその反射光を拾って計測するエコー断層装置と言えるので体や組織には全く害がなく、しかもわずか数秒の短時間で計測できます。

 

これまでは黄斑部という眼底網膜の中心部や視神経乳頭の異常が疑われるとミドリンPという散瞳薬の目薬で瞳を広げ、特殊な検査用コンタクトレンズを患者さんに装着し、拡大して観察する必要がありました。この検査もさほど大きな侵襲はありませんが、それでも薬が効いて十分に瞳が広がるまで30~40分待ってもらわなくてはなりませんし、薬の作用が消えて瞳の大きさが元に戻るまで7~8時間かかり、その間はピントが合わず、まぶしくなるので運転や手元を見る細かい作業はできません。しかし、OCTは、よほど瞳が縮まっている人でなければ、無散瞳の状態で検査ができますし、しかも少々白内障があって眼底写真が奇麗に撮れなくても断層撮影は可能です。

OCTは1996年に初めて商品化されましたが、当初はまだまだ画像が粗く、大学などの一部研究者でしか扱われていませんでした。しかし、その後機械がどんどん改良され、画像の解像度が飛躍的に良くなり、ここまで断面が鮮明に見えるのかと誰しもが驚くような美しい画像が得られるようになりました。また、組織の微細な厚みもミクロン単位で計測でき、黄斑変性症や緑内障などに対する様々な解析プログラムが加わり、非常に初期の変化でも病気の診断が容易になりました。しかし、OCTは多くの眼科医に歓迎される一方、今までなら非常に熟練した技術と経験が必要であった眼疾患の診断があまりにも容易にできるようになったため、一部には眼科医の診断技術をダメにしてしまうのではないかという危惧の声も聞かれます。

 

しかし、このような科学技術の発達による職人技の衰退を危ぶむ声は今に始まったことではなく、また眼科に限ったことでもありません。何の検査機械もなかった時代には、視診、触診、聴診といった五感をフルに活用する職人の技術が必要でしたが、血液検査やレントゲン検査、エコー、CT、MRIなといった様々な検査が一般的になった現代でもその重要性は何ら変わっていません。むしろ、新しい検査機械の登場により新たに勉強しなければならない分野が増えて行くのです。医師は現役で仕事をしている以上、常に進化していくことが求められています。

 OCTの有用性が眼科医に広まるにつれ、OCTに興味を持つ眼科医が増えたため、私が副会長を務めている大阪府眼科医会でもそのような要望に応えようと今年の1月にOCTの講習会と機械メーカー各社による機械のデモ展示を行ったところ、非常に多くの眼科医に参加して頂きました。その結果、大阪府では当院も含め、OCTを導入する眼科診療所が格段に増加し、大阪府は現在OCTの導入率が全国一になっているそうです。

 OCTは実はSクラスのベンツが1台買えるほど非常に高額の機械なので、当院でも当初はコストをそれだけかけて果たしてどれほど役に立つのかという迷いがあったのですが、思い切って導入してみると、今までなら非常に難しかった緑内障初期の診断や検眼鏡では十分に把握できなかった黄斑部の微細な病態まで文字通り「目に見えて」わかるようになり、眼疾患に対する非常に良い「武器」を手に入れることができ、今では導入してよかったなと非常に満足しています。そんな高額の機械ならさぞ検査料は高いのではと思われがちですが、検査料は2000円(3割負担なら600円)と情報量からみればちょっと安すぎると思うくらい非常に安価に設定されているので、逆に少しでもおかしいと感じればあまり患者さんの金銭的負担を気にせずに積極的に検査できる料金であるとも言えます。

 白内障や角膜、硝子体の手術といい、OCTといい、眼科医療の発展とそのスピードには本当に目を見張るものがあります。これは死ぬまで勉強かなという少し重たい気持ちと、どこまで眼科医療は発展していくのかという楽しみの気持ちが入り混じっている今日この頃です。